ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« スケルツォのエンディング | トップページ | プログラムノート »

2010年3月18日 (木)

ビューローの呼びかけ

ビューローとはハンス・フォン・ビューローのことだ。クララ・シューマンの父フリードリヒ・ヴィークに師事したピアニストでもあり、近代指揮法確立の立役者でもある。当初熱心なワーグナー支持者だったが、後にブラームスの支持者となる。ブラームスの第一交響曲を「第10交響曲」と呼ぶなど後世に残る言葉をいくつか吐いている。

1875年だから、既にリストの娘コジマとは別れた後だ。ブラームス支持へ乗り換えた頃と思っていい。ビューローはドヴォルザークから交響曲第5番ヘ長調の献呈を受けた。オーストリア国家奨学金への初めての応募の翌年だ。

おそらくビューローはドヴォルザークへのブラームスの惚れ込みを知っていたのだと思う。この献呈に対する返信が残されている。

「もっとも尊敬する巨匠殿」と書き出される丁寧な書状だ。ところがこの後ビューローは、ドヴォルザークを指し示して「ブラームスに次いで、今日もっとも天性に恵まれた作曲家であるあなた様」と言っている。この言い回しがドヴォルザークの逆鱗に触れたとは思えないが、余計なお世話な気がする。単に「今日もっとも天性に恵まれたあなた様」で良いではないか。「ブラームスに次いで」は余計だ。

考えてもみてほしい。この時ブラームスの第1交響曲はまだ完成していない。交響曲を受け取っておいて、まだ1曲も交響曲を書いていない「ブラームスに次いで」とはご無体な表現だ。きっとこれはむしろビューロー側の都合だ。「ブラームスに次いで」という言い方でドヴォルザークが「ワーグナー派」ではなく「ブラームス派」だということを暗に指し示しているのだと思う。ビューロー自身がつい先ほど鞍替えしたばかりのブラームス派に、頼もしい同士が現れたという無意識下の思いが反映したと感じる。

この約1年後に陽の目を見たブラームスの第1交響曲が、周知の通りの力作だったのは幸いだ。これが万が一駄作だったらドボルザークも浮かばれない。

« スケルツォのエンディング | トップページ | プログラムノート »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ビューローの呼びかけ:

« スケルツォのエンディング | トップページ | プログラムノート »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ