別荘を持つ
1884年夏、プラハの南西約60kmにあるヴィソカーの地に別荘を購入した。ドヴォルザークの伝記では、大抵言及される出来事だ。「念願が叶って」と言い回されていることが多い。
妻の姉ヨゼファが嫁いだ貴族から領地の一部を購入したのだ。第8交響曲を初めとする名作群を生み出した。傑作を生み出したという意味では米国アイオワ州のスピルヴィルと双璧をなす。
ピアノ連弾曲「シュマヴァの森」と劇的序曲「フス教徒」の原稿料3500マルクが購入費用の一部に当てられたとされている。音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」のドヴォルジャークの100ページに詳しい経緯が載っている。その3500マルクに初めての訪英の収益をつぎ込んで、ヴィソカーの別荘を購入したという。土地を購入し、羊飼いの小屋を改装して簡単な別荘を建てたとある。庭を造成したとも書かれている。
このうちの訪英の収益がいくらだかわからないのが残念だ。「3500マルクに訪英で得た収入を合算して」という言い回しから、3500マルクと同等な額、少なくとも4桁のマルクだと仮定すると、平屋の庭付き別荘が5000マルクから10000マルクの間と推定できる。250万円から500万円の間だ。下級労働者の年収の5倍~10倍ということになる。
このときドヴォルザーク43歳。貧乏から立ち上がったドヴォルザークにとって、生涯最大の買い物だった可能性が高い。
その一方で、ジムロックがブラームスの交響曲1曲に支払った15000マルクの重さを味わいたい。
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