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2010年4月30日 (金)

教授の見解

音楽之友社刊行の「ブラームスのピアノ音楽」は、デトレフ・クラウス先生のブラームスラブが詰まった好著だ。ピアノを含む作品ジャンル別に言及したショートエッセイだ。その中でたった1箇所ドヴォルザークに言及している。

ブラームスのホ短調インテルメッツォop119-2についてドヴォルザークとの関連を指摘されている。指摘といってもドヴォルザーク作品の具体的な名前を挙げていないから謎が多い。

このときにクラウス先生の脳裏にあったのはドヴォルザークのどの作品なのだろう。

昨年クリスマスに放った「平均律ドボヴィーア曲集」の「ホ短調」で取り上げた「影絵」op8-10が引っかかる。当日の記事で私はブラームスのインテルメッツォop119-2に似ていると書いた。

クラウス先生のお考えが聞きたい。

2010年4月29日 (木)

スターバトマーテル

十字架にかけられたキリストの足下で聖母マリアが嘆く姿を描いた続唱のこと。スポットライトは母マリアに当たっている。どちらかというとカトリック寄りの題材だ。テキストはラテン語だ。古来作曲家たちの創作意欲を刺激し続けた題材であることは確かだ。おびただしい数の作品があるという。

ブラームスもバッハも「スターバトマーテル」を書いていない中、ドヴォルザークの作品は古今の「スターバトマーテル」の中でも傑作の誉れが高い他、ドヴォルザークの合唱作品の最高峰とも位置づけられている。私の文章なんぞ今更邪魔である。

長女、次女と長男を相次いで亡くすという悲劇が作曲のキッカケとも見える。1男2女とは我が家の子供たちと全く同じだ。結局彼はこのあと5人の子供に恵まれるが、「親が子供を送る」という悲劇にさらされるという具体的な痛手に基づいた作品だ。

1880年のプラハにおける初演よりも1883年のロンドン初演の方が重要だ。ロンドンでの圧倒的な成功により、ドヴォルザークの作曲家としての名声は不動のものとなる。ブラームスで言えばドイツレクイエムのようなものだ。

1883年のロンドン初演の噂はブラームスの耳にも入っていたに違いないし、1887年にはウィーンで初演もされている。

後日オラトリオ「聖リュドミラ」のウィーン公演の是非を巡ってトラブルが起きたという話題がブラームスと友人の間でかわされた。ブラームスは公演には否定的だった。「聖リュドミラ」が英国リーズからの依頼で書かれたことを暗に仄めかして「英国用の作品ではだめだ。どうせやるならスターバトマーテルがいい」と述べている。

2010年4月28日 (水)

伝説曲

「ハンガリア舞曲」と「スラブ舞曲」の成功に味をしめたジムロックは、民族色豊かなピアノ連弾作品を宝の山と認識したようだ。ドヴォルザークに対してピアノ連弾作品の作曲を執拗に依頼するようになる。

その手の依頼に内心ストレスを感じながらも、作品の出来映えが素晴らしいことは、ドヴォルザークならではである。

1881年ジムロックから出版された「10の伝説曲集」op59(B117)もそうした連弾曲のひとつだ。本人による管弦楽編曲も遺っている。

よほどの自信作だ。名高い音楽批評家のハンスリックに献呈されている。さらにブラームスはジムロックに宛てて作品の出来を賞賛する手紙を書いた。

「これはきわめて魅力的な曲であり、その人物(ドヴォルザーク)の新鮮で生き生きとした豊かな創意を羨まずにはいられない」

現代の愛好家がドヴォルザークの作品と聞いていの一番に思い浮かべる作品ではない。それでもブラームスは、ジムロックから出版された楽譜を受け取ってドヴォルザークの才能を絶賛した。

2010年4月27日 (火)

ドヴォルザークの日

8日前に「ブラームスの日」という記事を公開した。それはブログの記事が1833本に達したという内容だった。ブラームスの生年1833に引っ掛けたお遊びである。ということはちょうどその8日後の本日は1841本目の記事である。つまりドヴォルザークの生年1841に因む。勘の鋭い人には読まれていたハズだ。

誕生日でも命日でもない私だけのドヴォルザークの日だ。

ブラームス生誕200年まで記事を確保し、米国の火星探査計画に勝利しようと思ったら、これくらいのこじつけは当然である。

2010年4月26日 (月)

地名で呼ぶ習慣

日本だけの習慣だろうか。特定の個人や組織を、ゆかりの深い地名で呼ぶ習慣がある。

永田町と言えば国会のことだし、霞ヶ関と言えば中央官庁のことである。桜田門は建物とも思えるが、今や地名と化して警視庁の通称だ。二昔前には「目白の意向」と言えば、誰の意向か皆わかっていたものだ。

欧州の作曲家で、この手の呼び名が定着しているケースは無いだろうか。まずは「バイロイトのワーグナー」が思いつく。バイロイトと言えばワーグナーでOKだし、ワーグナーと言えばバイロイトだ。この手の双方向性が必須だ。おそらく「ワイマールのリスト」「ザルツブルクのモーツアルト」も合格だろう。個人的には「ライプチヒのバッハ」も許容範囲だ。メンデルスゾーンには、お詫びの一つも要るに違いない。

悩ましいのは、ベートーヴェン、シューマンそしてバッハにはじき出されたメンデルスゾーンだ。ショパンはぎりぎりワルシャワで許してあげるにしても、決定打の無い人が多過ぎる。

特にウィーンが絡むと難しい。候補者が多過ぎる。「シュトラウスのウィーン」あるいは「ウィーンのシュトラウス」となると異論も出そうだ。無論ブラームスもだめだ。

無論ブラームスとてウィーンでは異論も多そうなので無理矢理ハンブルクかとも思う。ドヴォルザークはやはりニューヨークではあり得ず、プラハあたりが妥当かもしれない。

良い方法があった。永田町、霞ヶ関のような小地名にするといい。ウィーンでは文句の出そうなブラームスも「カールスガッセ」ならぴったり来る。ドヴォルザークなら「ジトナーシュトラーセ」だ。引っ越し魔だったベートーヴェンやシューベルトでは使いにくいから、なかなかバカにしたものでもない。

2010年4月25日 (日)

因果律

「何事にも原因と結果があり、結果が原因より先に起きることはない」程度の意味。なるほどと思う反面、「卵とニワトリの後先関係」については決定的な回答と成り得ない気もする。

ドヴォルザークが新世界に旅立ったのは1892年秋だ。夏期休暇中を除き1895年4月までをほぼ米国で過ごした。交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、チェロ協奏曲を筆頭とする作品がこの滞在を機に誕生した。大抵はこの時期の作品にはアメリカの要素満載でと解説される。特有の5音音階の出現をもってこれを説明するという話の方向が確立している感じがする。

さてドヴォルザークは、渡米前にコロンブスによる新大陸発見400年を記念する作品を委嘱されていたが、テキストが間に合わずにこれを断念した経緯がある。代わりに書かれたのが「テデウム」であった。新大陸への手みやげである。つまり「テデウム」は渡米前にチェコで書かれたということだ。

困ったことに、この「テデウム」にも例の5音音階が使用されている感じがする。どうしたことか。これでは米国音楽にインスピレーションを得てとばかりは言えなくなる。

因果律に反するのだ。

元々「5音音階ラブ」だったドヴォルザークの脳味噌が、米国にも同様の音階を発見していっそう刺激されたと解さなければ辻褄が合わない。

2010年4月24日 (土)

故郷の人々

アメリカの作曲家フォスターの代表作で、原題を「The folk at home」いう。フォスターは1826年生まれで、ブラームスより7歳年長だ。38年の生涯で活躍の場はほぼ歌曲に限られていた。

1892年渡米したドヴォルザークは、アメリカの音楽に親しんだと大抵の伝記に書かれている。1894年には、フォスターの「故郷の人々」を管弦楽伴奏を従えたバリトン独唱と合唱用に編曲している。相当な入れ込みようだ。

昨日の記事「弦セレのオリジナル」で話題にしたCDに「故郷の人々」ドヴォルザーク編曲版が収録されていた。素晴らしい。「弦セレの八重奏版」は、怖い物見たさがあったが、こちらの編曲は、合唱曲として素晴らしい。ミサ曲のどこかに、素知らぬ顔で挟まれていたとしても不自然に浮き上がることはないだろう。

1894年8月に作曲されて翌年刊行された「8つのフモレスケ」の7番変ト長調は、「ユーモレスク」として世界中で親しまれているが、この主旋律の後ろに「故郷の人々」をかぶせると、ピッタリとハモる。「故郷の人々」の編曲は1894年とされていて、月日がはっきりしないが、「フモレスケ」と時期が重なる。「フモレスケ」の楽想と「故郷の人々」の編曲が相互に影響を与えた可能性を考えている。

2010年4月23日 (金)

弦セレのオリジナル

ドヴォルザークの弦楽セレナーデホ長調op22のお話。本人によるピアノ連弾編曲版のCDを発見した件、既に記事にした。本日はさらにその斜め上を行くサプライズ。

最終的に弦楽合奏のためのせレナーデになったが、実はその前段階があったというのだ。

  • ヴァイオリンⅠ
  • ヴァイオリンⅡ
  • ヴィオラ
  • コントラバス
  • クラリネット
  • ファゴット
  • ホルン
  • ピアノ

奇怪な編成である。この度そのCDを発見してしまった。ドヴォルザーク補正かかりまくりの脳味噌には痛いくらいの刺激である。もちろん即購入。

聴いてみた。

現在一般に流布するのは弦楽五部の編成。まあ時折ディヴィジョンが施されるから声部としては最大で6声か7声である。それが8つの楽器用に焼きなおされている上に、1人で4声部はこなせるピアノが加わっているから、声部の数に比して楽器が余る感じである。楽器1個あたりの出番は低くなる。弦楽合奏版に比べると立て込み度が低い感じがする。そこから醸し出される鷹揚とした感じがいかにもセレナーデっぽい。

もちろんドヴォルザーク特有の旋律美はそっくり保存されているから、とても楽しめる。クラリネットやホルン、ファゴットにどんな旋律があてられるのかという楽しみもある。しかしドヴォルザークがこれを最終稿としなかった理由もわかる気がする。ピアノ入り8名が鷹揚に出番を分け合うというのんびり感を放棄し、弦楽五部にしたことで作品の緊密度が格段に高まったと感じる。

2010年4月22日 (木)

北大西洋航路

ドヴォルザークを新世界へと誘ったのは北大西洋航路だった。航空機の台頭を待つ間、欧州と米国を結ぶ旅客輸送の大動脈だった。各国は競って最先端の客船を就航させ豪華さとスピードを争った。

ドヴォルザーク初めての渡米は、ドイツ・ブレーメンから英国サザンプトンを経由した。1892年9月15日にプラハを立ってニューヨーク到着は9月27日だから12日間の行程だ。1894年に一時帰国した際の所要日数は11日であった。帰国の方が所要時間が短いのは経由地のせいかメキシコ湾海流のおかげか判然としない。

その後の渡米は、北大西洋航路の主役と言うべきハンブルク-ニューヨーク航路だった。サザンプトンやブレーメンを経由せぬ直行ルートであり、当時はこちらがメインだったらしい。ブラームスの故郷ハンブルクは、欧州大陸の表玄関の地位に君臨していた。

映画で名高いタイタニック号も、第一次世界大戦で米国参戦のキッカケになったルシタニア号も北大西洋航路の主役だった。そういえば有名なのは沈んだ船ばかりだ。だからブラームスは英国にさえ渡らなかったのかもしれない。

2010年4月21日 (水)

Sostenuto

ブラームスにあってはメジャーな用語だ。「ゆっくりと」と解されるが、注意も要る。「in tempo」や「a tempo」のようなテンポリセッターを伴わないケースも少なくない。テンポよりも表情が勝ったニュアンスなのだという気もする。その意味では「animato」の反対概念だ。

何よりも象徴的なのは、その分布だ。ピアノパートにしか現れない。必ずしもピアノ独奏曲とは限らず、室内楽や歌曲のピアノパートにも進出するが、ピアノ以外のパートには頑として出現しない。「ティークのマゲローネのロマンス」第4曲の56小節目の声のパートに現われるのがおそらく唯一の例外だ。

さてさて、このところ恐る恐る深追いを始めたドヴォルザークだが、彼のピアノ独奏曲には「Sostenuto」は一切現れない。ブラームスではピアノパートばかり約250箇所で用いられているのに、いったいどうしたことだろう。

ダイナミクス用語「poco f」「sotto voce」がドヴォルザークに現れないことは既に予測しておいた。本日はテンポ関連用語。ピアノ曲の比較において最大の見所と申し上げていい。

2010年4月20日 (火)

火星探査

つい先日のことだからご記憶の方は多いと思う。米国オバマ大統領が、2030年代半ばまでに火星有人飛行を実現することを表明した。米国の宇宙政策の数値目標が宣言された感じである。大統領の宣言から国の威信をかけて取り組むという決意が感じられる。同時にいったいどれほどの人が、火星有人飛行を具体的にイメージ出来ているかとも感じる。

面白くなってきた。2030年代半ばという達成期限のことだ。わがブログ「ブラームスの辞書」の到達目標2033年5月7日に非常に近い。私と合衆国の一騎打ちだ。アメリカによる2030年代半ばの火星有人飛行実現とブログ「ブラームスの辞書」の2033年5月7日までの連続更新の勝負である。オッズはどのくらいになるのだろう。

双方達成か双方失敗ならドローだ。2033年5月7日先に私が目標を達成し、アメリカの火星探査の行方を高みの見物というのが理想だ。

大人が根を詰める計画とはこういうものだと思う。昨日のショックを払拭するためにも、目標設定が必要だ。

何となくだが、火曜日に公開するのが適切と感じる。

2010年4月19日 (月)

ブラームスの日

何と言うことはない日だ。けれど本日を逃すとこの記事は二度とアップ出来ない。

この記事でブログ「ブラームスの辞書」は開設以来積み上げた記事が1833本に達した。単にそれだけだ。ブラームスの生年1833に因む。

普段は決められたネタを公開するのに忙しい。特にドヴォルザーク特集は会期末9月8日までに、用意したネタを公開し終えることが出来るか微妙だから、今日のようなニュートラルな日は貴重だと思っていたら、とんでもないニュースが飛び出した。昨夜の試合でスターティングメンバーからはずれたことで、阪神タイガース金本知憲外野手のフルイニング出場の連続試合記録が1492試合で途切れた。世界記録更新中だったが、呆気ないものだ。本人自ら申し出たものらしい。ブログ「ブラームスの辞書」は本日更新が出来たことで1786日連続更新を継続中だが、他人事ではない。

満足出来る記事が書けなくなった時、自ら更新を止めることが私に出来るだろうか。

2010年4月18日 (日)

虚数

4月16日と17日に相次いで「指名手配」と「追加手配」をアップした。ブラームスに頻発する「poco f」「sotto voce」「mezza voce」がドヴォルザークには見当たらないという趣旨だ。さすがは公開捜査だ。さっそく「mezza voce」が発見された。この調子で全部見つかると嬉しい。情報提供に感謝する次第である。

さて数学の話だ。中学に入るとすぐ数直線を習う。整数、自然数、負の数、有理数などの理解を深めるためだ。循環小数、無理数など厄介な概念ではあっても、数直線上での大体の位置はイメージ出来る。この数直線の概念では、どうにもならなくなるのが虚数だ。一般に「i」をもって表される。二乗して「-1」になる数だ。数直線上での位置をイメージ出来ない。

数直線をダイナミクス直線に置き替える。一本の直線上に目盛りを付け、左から順に「ppp」「pp」「p」「mp」「mf」「f」「ff」「fff」と書き記せばたちまち出来上がりだ。作曲家によっては「ffff」「pppp」なども加えなければなるまい。目盛りは必ずしも等間隔とは限らない。音楽家たるもの皆、独自の基準を持っていると申しても良いだろう。過去の西洋音楽の伝統に照らして、大まかな合意はあるものと推定出来るが、厳密な話をすれば作曲家毎、作品毎、演奏家毎に全部違うくらいの覚悟は要ると思われる。

ドヴォルザークに「poco f」が見当たらない現象に接して、私が思い出したのが「虚数」だ。ドヴォルザークは自らのダイナミクス直線上にそれをイメージ出来ないということなのだと思う。ト短調ピアノ四重奏の管弦楽版を見る限り、おそらくシェーンベルクもイメージ出来ていない。

ブラームスにはイメージ出来ていることは確実だ。だからこそ私ごときがブログや著書で大騒ぎする意味がある。

2010年4月17日 (土)

追加手配

昨日の記事「指名手配」で、ブラームスにおいて頻発する「poco f」が、ドヴォルザークの楽譜上には見られないと書いた。どなたかご存知ならご一報をという意味だ。本日はその追加である。

あらたに追加手配になるのは「sotto voce」と「mezza voce」だ。どうも今のところこれらが発見出来ない。ひょっとするとドヴォルザークは使っていないのではないかとも思っている。自然科学で見られる予測みたいなものだ。

すなわちその時点までの観察の結果、かくかくしかじかの法則があるのではないかというパターンである。冥王星発見のエピソードを思い出して欲しい。

後日それらが発見されればされたで、お詫び記事を含む数本の記事が書けるに決まっているから、こういう宣言も悪くない。

2010年4月16日 (金)

指名手配

2月27日の記事「ポコは少しか」で、ドヴォルザークもブラームスに劣らぬ「ポコ」(poco)の使い手ではないかと書いた。さらに4月11日の記事「ドヴォルザークのメゾピアノ」では楽譜上での「mp」の出現が、ブラームスに触発されたものではないかとも書いた。

手許の楽譜をひっくり返して「mp」を探査していたが、別の疑問が湧いた。「poco f」である。ブラームスに劣らぬ「poco」の使い手の割には「poco f」を見かけない。どうしたことか。

ブラームスにおいて「poco f」は一大陣営を築いている。独自のダイナミクスワールドの根幹である。

ドヴォルザークの「poco f」を指名手配したい。

2010年4月15日 (木)

エスカレーター

私が小さい頃にはデパートにしかなかった。最近都会では大抵の駅に設置されている。エレベーターと並ぶ昇降機の定番だ。人間2人分の幅というのが一般的だが、何となく通行帯が決まっている。立ち止まる人が左側で、歩く人が右側だ。高速道路の追い越し車線と同じ感覚である。ところが、関西へ行くとこれが逆になる。左側で突っ立っていると迷惑がかかる。

東京と大阪の間のどこかにこの習慣の境目があるはずだが、確かめきれていない。新幹線の駅で申せば米原か岐阜羽島あたりが怪しい。

分布の境界といえば「mp」だ。ドヴォルザークの「mp」分布を調べている。ピアノ独奏曲では1880年のB109の小品が「mp」出現の始まりだ。交響曲では7番での「mp」が確認できている。弦楽四重奏では「糸杉」の弦楽四重奏編曲版に存在し、10番の弦楽四重奏には存在しないことが判明している。

ブラームスと違ってドヴォルザークは、楽譜所有の抜けが多過ぎて境界線を特定できない。ピアノ独奏曲での境界線1880年が、全ジャンルに有効なのか確かめたいのだ。現在の所「1880年境界説」を覆す事例は確認できていない。

2010年4月14日 (水)

続最愛の歌曲

昨年6月8日の記事「最愛の歌曲」で、ブラームス歌曲一番のお気に入りが「野のさびしさ」op86-2だと書いた。しからばドヴォルザーク歌曲で一番のお気に入りはというのが本日の話題だ。

「我が母の教えたまひし歌」が最も一般に知られた作品であることに異論はあるまい。もちろん私とて美しいと思う。しかし今私がドヴォルザーク歌曲でもっとも好きな作品は別にある。

「主は私の牧者」である。最後の歌曲集「聖書の歌」op99の第4曲だ。「聖書の歌」の中では第7曲「バビロンの川のほとりに」を最高傑作に推す声が多い。実際に素晴らしい曲だが、私は賛成しかねる。

Andanteと記された冒頭、「quasi recit.」の指定が歌のパートに鎮座する。ピアノが「H」音をポツリと鳴らす。何とこれがイントロだ。アカペラ作品で歌い手に最初の音を示すためにピアノが鳴らされることがある。まさにそのままのピアノ単音のイントロだ。フェルマータで途切れ途切れに歌い出される静溢なモノローグ。動きの少ないピアノ伴奏が、かえって凄みを感じさせる。「音楽の起伏最小にして表現の幅最大」を現実に示してくれている。

そしてそして、歌い出しの部分にとっておき感溢れる「mp」が、ひっそりと置かれている。1894年の作品だから、「mp1880年説」に矛盾しない。

2010年4月13日 (火)

メゾピアノの巣

ダイナミクス記号「mp」(メゾピアノ)は、ブラームスにおいては特異な分布を示す。第1交響曲を皮切りに堰を切ったように現れる。作品中の分布量で申すならピアノ協奏曲第2番においてピークを形成する。「ブラームスの辞書」ではこれを「メゾピアノの巣」と呼んでいる。以下の通りだ。

  1. mp 第1楽章冒頭のホルン 「世界遺産級」のソロ
  2. mp espressivo 第1楽章48小節のヴァイオリン
  3. mp legato 第1楽章73小節のピアノ
  4. mp 第1楽章173小節のオーボエ
  5. mp 第1楽章333小節のホルン
  6. mp ma dolce 第1楽章358小節のフルート、ヴァイオリン
  7. mp 第1楽章360小節のオーボエ
  8. mp 第2楽章54小節のピアノ
  9. mp marcato 第2楽章102小節のヴィオラ、チェロ
  10. mp 第2楽章389小節のピアノ
  11. mp espresivo 第3楽章冒頭の独奏チェロ これも「世界遺産級」
  12. mp 第4楽章65小節のピアノ
  13. mp 第4楽章242小節のピアノ
  14. mp 第4楽章309小節のピアノ

たかだか4割ドボダスの段階で断言は危険だが、ドヴォルザークにおける「メゾピアノの巣」はおそらく交響曲第8番だと思われる。下記の通りである。

  1. mp 第2楽章冒頭 第1楽章には多分無かったと思う。
  2. mp 第3楽章87小節 オーボエとフルート。私がドヴォルザークで一番好きな旋律。
  3. mp 第3楽章119小節の木管。87小節の再現。
  4. mp 第3楽章151小節の弦楽器。87小節と同じ旋律。
  5. mp 第3楽章227小節のクラリネットとファゴット。
  6. mp 第4楽章26小節のチェロ。変奏主題の提示である。
  7. mp 第4楽章120小節の木管。コガネムシが始まるところ。

ご覧の通りみなおいしい。当然と申しては何だが作曲年は1880年より遅い1889年だ。

2010年4月12日 (月)

ブラームスハウス

「Brahmshaus」と綴る。今更和訳が要るとも思えない。ブラームスのゆかりの家のことだが、記念品が収蔵されていたりして、観光名所化していることも多い。

ドイツ南西部のバーデンバーデンにもある。リヒテンタールにクララの家があったから、ブラームスは何度かバーデンバーデンに滞在したという曰くつきだ。

次女のヴァイオリンの先生がこのほどバーデンバーデンに赴いた。昨日のレッスンの際にお土産をいただいた。次女にはかわいらしいチョコ。私には山ほどの写真だ。バーデンバーデンのブラームスハウスを見学したという。ブラームス行きつけのレストランにも立ち寄って、お気に入りの席の写真も撮影して来てくださった。

クララの3女ユーリエの結婚式が行われた教会でヴァイオリンを演奏したそうだ。

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ブラームスハウスのパンフレットとチョコレート。

2010年4月11日 (日)

ドヴォルザークのメゾピアノ

昨日一昨日の記事は、本日のための序奏だった。

ドヴォルザーク作品の楽譜に現れるトップ系音楽用語をエクセルに取り込む作業を続けてきた。どうせ楽譜をあたるのだからトップ系のみならずパート系にもそれとなく注目していた。ブラームスでは特異な分布を見せる「mp」だが、ドヴォルザークにおける分布も興味深い。ドヴォルザークの独奏ピアノ作品に現れる「mp」を以下に列挙する。

  1. ピアノ小品B109-3 71小節目
  2. ピアノ小品B109-3 129小節目
  3. ピアノ小品B116 41小節目
  4. 詩的音画より「農民たちのバラード」B161-5 冒頭
  5. 詩的音画より「フリアント」B161-7 61小節目
  6. 詩的音画より「妖精の踊り」B161-8 65小節目
  7. 詩的音画より「セレナーデ」B161-9 4小節目
  8. 組曲イ長調第1曲25小節目
  9. 組曲イ長調第4曲30小節目
  10. 8つのフモレスケより第1番 25小節目
  11. 8つのフモレスケより第5番 57小節目
  12. 8つのフモレスケより第5番 73小節目

たったの12箇所だ。上記の一覧は作曲年代順だ。先頭は1880年である。つまりドヴォルザークの独奏ピアノ曲に出現する「mp」は1880年以降に限られるということだ。ドヴォルザーク独奏ピアノ曲全集全2巻の第1巻には出てこない。第2巻の中盤以降にしか置かれていないのだ。

ブラームス作品における「mp」密集との関連を疑いたい。同時にドヴォルザークについて「mp1880年起源説」を、ひっそりと提案する。管弦楽室内楽を含む全作品を確認していないから、ゆめゆめ断言は禁物だがかなり不気味だ。

2010年4月10日 (土)

一瞬のきらめき

ブラームスに限らず、特定のダイナミクスを維持したい場合「sempre」を用いることがある。「sempre p」「f sempre」の類である。さらにブラームスは放置しておくと維持が困難な場面にも「sempre」を配置することがある。ブラームスのダイナミクス語最多登場は「p」だが、「sempre」との共存に限れば「pp」にその座を譲る。

さてさて「ブラームスの辞書」では、ブラームスが用いた「mp」に特別の位置付けを与えている。出現時期の極端な分布に加え、出現場所が「おいしい」ことがその根拠だ。

ここだけの話、「mp」は「sempre」との関係でも特異な傾向を示す。「mp」はただの一度も「sempre」に修飾されないのだ。「sempre mp」「mp sempre」が存在しないということに他ならない。ブラームスにとって「mp」は延々と維持継続する対象ではないということだ。同じ事が「f」側でも起きている。それが「poco f:」である。「poco f」もまた「sempre」と共存しない。「mp」と対をなす使われ方だ。

つまり一瞬のきらめきのためにある。

しづ心なく花の散るらむ。

2010年4月 9日 (金)

mezzo p

訳語とすれば「やや弱く」でよいのだろう。これを略したのが「mp」だという認識で間違っていないのだと思う。しからばブラームスは「mezzo p」と「mp」を書き分けていたのかというのが本日の話題だ。

ブラームスの楽譜にはほとんど「mp」として出現するが、2箇所だけ「mezzo p」となっているところがある。ピアノソナタ第1番の第3楽章27小節目と31小節目だ。我が家のヘンレ版はもちろんジムロックから刊行された初版にも「mezzo p」と書いてある。年代的に次の出現はop40だが、それ以降生涯「mp」になっている。

ブラームスの積極的な意思表示なのか単なる偶然なのかわからない。

2010年4月 8日 (木)

新入生の歌

ブラームスの大学祝典序曲に登場する学生歌。日本に限ればほぼ知名度最高と目されるのが本日のお題「新入生の歌」だ。アニマート4分の2拍子の主題は、某大学受験講座のテーマ曲としてなじみが深い。

メロディの起源はドイツともオランダとも言われている。

テキストは新入生への手荒い歓迎の色合いが濃い。最後には新入生がタバコを吸うことで一人前と認められる内容だという。大学の新人歓迎会の席で急性アルコール中毒の話題が毎年繰り返されるが、この手の話は起源が古いと言うことだろう。ロベルト・シューマンは17歳で喫煙飲酒していたらしい。この時代未成年の大学生の喫煙はけして御法度ではなかったようだ。

本日長男大学に入学。

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本日の記事、実は実は遥か彼方を見据えた種まき。

2010年4月 7日 (水)

葬列を辿る

音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章には、1897年4月6日に執り行われたブラームスの葬儀の様子が詳しく書かれている。葬儀の翌日4月7日付けの新聞記事の和訳だ。

カールスガッセ4番地の自宅から、楽友協会を経て福音協会ABにて葬儀。さらに中央墓地へ埋葬されるまでの経路が詳しく書かれている。それを元に現在のウィーンの地図上で葬列が辿ったコースを再現してみる。

  1. カールスガッセ4番地 Karlsgasse 6日14時30分出発予定。事前の告知より実際の出発が遅れた可能性もある。
  2. テヒニカーシュトラーセ Techniker strasse
  3. シュヴァルツェンベルガー橋 Scwarzenberger 現存しない。
  4. ロートリンガーシュトラーセ Lothringer strasse
  5. 楽友協会 Musikverein 15時着だ。事前告知では、福音協会ABでの葬儀開始が15時とされているから、少々遅れ気味だ。
  6. オペラ座前 Oper
  7. オーペルンガッセ Opern gasse
  8. アルブレヒト広場 Albrecht plazz
  9. テゲットホフシュトラーセ Tegetthof strasse
  10. プランケンガッセ Planken gasse
  11. ドロテアガッセ Dorotheer Gasse
  12. 福音協会AB 葬儀
  13. アウグスティーナー教会前 Augustiener Kirche
  14. ロブコヴィッツ広場 Lobkowitz Plazz
  15. オーペルンガッセ Opern Gasse さっきも通った。
  16. リンクシュトラーセ Ring Strasse
  17. シュヴァルツェンベルグ橋 Scwarzenberger さっきも通った。現存しない。 
  18. レンヴェク Rennweg
  19. 中央墓地 区画番号26に埋葬された。

ドヴォルザークは、上記1番カールスガッセの自宅に集まった人々の中に記載されている。そして上記19番中央墓地での埋葬にも立ち会ったとも書かれているから、上記全行程を徒歩で踏破したことは確実だ。およそ11Kmの道のりである。

ありがとうドヴォルザーク。

2010年4月 6日 (火)

葬列

1897年4月3日にブラームスはこの世を去った。葬儀は丸3日後の4月6日だったという。それはそれは盛大な葬儀だったらしい。音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」に詳しく載っている。ドヴォルザークと違って国葬にこそならなかったが、音楽関係者はほとんど総出で、政府高官の姿も見られたという。

父母、姉弟に先立たれ妻子もいないブラームスだからいわゆるご親戚の方はゼロだ。それでも参列者は膨大な数に膨れ上がり、自宅そばのカール教会前の広場を埋め尽くすほどだったという。集まった花束だけで馬車6台分もあったらしい。

シューマン夫妻の長女マリエ、ジムロック、ヘンシェル、ホイベルガー、ヘルツォーゲンベルク、クリンガー、ミュールフェルト、マンディチェフスキー、ブリュル、カルベックが参列した。

ドイツ国内にとどまらず、外国の諸都市も代表を送り込んだという。ロンドン、ケンブリッジ、アムステルダム。そしてパリも弔使を送ったという話もある。もちろんプラハから駆けつけたに違いないドヴォルザークもいた。このとき既にウィーン楽友協会の名誉会員の地位にあった。残念なことにこの出来事はドヴォルザークの伝記では見過ごされていることが多い。

なるほど丸3日の準備が要るわけだ。

2010年4月 5日 (月)

会葬

葬儀に参列することだ。故人とのお別れのために、当日の予定をキャンセルしてかけつけるのだから、家族親戚以外で会葬してもらえるというのは故人との関係浅からぬ人だということになる。

  1. メンデルスゾーン
  2. シューマン
  3. ブラームス
  4. ドヴォルザーク

この連鎖を見て何を想像するだろう。伝記を読めば解る。シューマンはメンデルスゾーンの葬儀に立ち会い、ブラームスはシューマンの葬儀に立ち会い、ドヴォルザークがブラームスの葬儀に立ち会った。つまり「会葬の連鎖」だ。

馥郁たる香気が感じられるメンツだ。メンデルスゾーンがシューベルトの葬儀に立ち会っていれば完璧だった。シューベルトはべートーヴェンの葬儀に立ち会っているからだ。

ブラームスはブルックナーの葬儀にも立ち会っているから、こちらでも別系統の連鎖が確認出来るかもしれない。

2010年4月 4日 (日)

最後の指揮

1900年4月4日プラハ。ドヴォルザークが生前最後の指揮をした。残った4年の人生の中でオケを振っていない。

自身の作「野鳩」が演目になっていたことは判明している。その他取り上げられたのは、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスだという。曲が知りたい。管弦楽曲だということは確実だが、作品名が解らないのは残念だ。

本人に「これが最後の指揮」だという認識があったかどうか解らないが、端正な選曲だと感じる。3曲全て交響曲ということがあり得るのかどうか、はたして演奏の順序は等々興味深い。

2010年4月 3日 (土)

死の3日前

ブラームスが没したのは1897年4月3日だった。事故による急死ではない。半年に及ぶ闘病の末の死だから、医師たちはブラームスの死期を感じていただろう。同時に関係者にはそれが告げられていたハズだ。ごくごく親しい者には、生前に面会したければ今のうちだという類の知らせが届けられていたと思う。

ドヴォルザークは、その親しい者だったと思われる。ドヴォルザークの伝記の一つにブラームスの死の3日前にドヴォルザークがカールスガッセの自宅を訪ねて、面会が許されたと記述されている。我が家にある3つある伝記のうちの一つにそう書かれている。断言にはなお慎重を期する必要があるが興味深い。

ドヴォルザークの前でワインを一口飲んで「おいしい」と言ったとされている。

本日の話題が事実ならドヴォルザークはブラームスの没する3日前にウィーンに居たことになる。公式記録によれば4月6日の葬儀の日、カールスガッセの出棺から、葬儀を経て埋葬に至るまで、ドヴォルザークが付き添ったとされている。その間一度プラハに帰ったのだろうか。あるいはずっとウィーンにとどまったのだろうか。

どうも伝記作者の創作っぽい。鵜呑み厳禁だ。

2010年4月 2日 (金)

終楽章マーカー

「con fuoco」は「火のように」と解される。情熱的な感じの表現として用いられる。ブラームスにおける用例については2006年6月30日の記事「青春の炎」で言及した。先ごろ完成したドボダスのおかげでドヴォルザークについても用語使用の分布がおぼろげながら推定できるようになった。

ドヴォルザーク作品における「con fuoco」の用例を以下に列挙する。

  1. 交響曲第2番変ロ長調B12第4楽章冒頭 Allegro con fuoco
  2. 弦楽五重奏曲第2番ト長調B49第1楽章冒頭 Allegro con fuoco
  3. ピアノ協奏曲ト短調B63第3楽章冒頭  Allegro con fuoco 
  4. フリアントニ長調B85-1冒頭 Allegro con fuoco
  5. フリアントニ短調B85-2冒頭 Allegro con fuoco
  6. ワルツイ短調B101-2冒頭 Allegro con fuoco 
  7. スケルツォカプリチオーソB131冒頭 Allegro con fuoco
  8. 交響曲第9番ホ短調「新世界より」B178第4楽章冒頭 Allegro con fuoco
  9. 弦楽四重奏曲第13ト長調B193第4楽章 Allegro con fuoco

ブラームスはトップ系パート系合計で生涯で7回だけだ。カバー率4割のドボダスつまり4割ドボダス状態で9回の使用、しかもそれはトップ系だけだ。さらにブラームスは作品41を最後に出現が途絶えるのに対し、ドボルザークは生涯にわたって満遍なく分布する。また「Allegro」を補完する形に特化して用いられているのも面白い。

さらに興味深いのは多楽章作品で用いられる際にはほぼ最終楽章になることだ。上記2が例外だ。つまりこれが「終楽章マーカー」である。

2010年4月 1日 (木)

連続試合出場

1768日連続で記事をアップすることが出来た。カリフォルニアエンゼルス松井秀喜外野手の連続試合出場記録の数値に並んだ。2006年5月に試合中の怪我で途切れたことは2006年5月15日の記事「継続するということ」で言及した。ブログ「ブラームスの辞書」の創立1周年を間近に控えたその日に、心の中で遥かなる目標を定めたのが本日達成とあいなった。

間もなく新しいシーズンが開幕する。昨年のワールドシリーズMVPの彼が、心機一転西海岸に移った。そのシーズン開幕とともにこの日が訪れた奇遇を味わっている。今日のためにブラームスにもドヴォルザークにも関係が無い記事を1本アップして、彼の今シーズンの活躍を祈ることとする。

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