葬列
1897年4月3日にブラームスはこの世を去った。葬儀は丸3日後の4月6日だったという。それはそれは盛大な葬儀だったらしい。音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」に詳しく載っている。ドヴォルザークと違って国葬にこそならなかったが、音楽関係者はほとんど総出で、政府高官の姿も見られたという。
父母、姉弟に先立たれ妻子もいないブラームスだからいわゆるご親戚の方はゼロだ。それでも参列者は膨大な数に膨れ上がり、自宅そばのカール教会前の広場を埋め尽くすほどだったという。集まった花束だけで馬車6台分もあったらしい。
シューマン夫妻の長女マリエ、ジムロック、ヘンシェル、ホイベルガー、ヘルツォーゲンベルク、クリンガー、ミュールフェルト、マンディチェフスキー、ブリュル、カルベックが参列した。
ドイツ国内にとどまらず、外国の諸都市も代表を送り込んだという。ロンドン、ケンブリッジ、アムステルダム。そしてパリも弔使を送ったという話もある。もちろんプラハから駆けつけたに違いないドヴォルザークもいた。このとき既にウィーン楽友協会の名誉会員の地位にあった。残念なことにこの出来事はドヴォルザークの伝記では見過ごされていることが多い。
なるほど丸3日の準備が要るわけだ。
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