死の3日前
ブラームスが没したのは1897年4月3日だった。事故による急死ではない。半年に及ぶ闘病の末の死だから、医師たちはブラームスの死期を感じていただろう。同時に関係者にはそれが告げられていたハズだ。ごくごく親しい者には、生前に面会したければ今のうちだという類の知らせが届けられていたと思う。
ドヴォルザークは、その親しい者だったと思われる。ドヴォルザークの伝記の一つにブラームスの死の3日前にドヴォルザークがカールスガッセの自宅を訪ねて、面会が許されたと記述されている。我が家にある3つある伝記のうちの一つにそう書かれている。断言にはなお慎重を期する必要があるが興味深い。
ドヴォルザークの前でワインを一口飲んで「おいしい」と言ったとされている。
本日の話題が事実ならドヴォルザークはブラームスの没する3日前にウィーンに居たことになる。公式記録によれば4月6日の葬儀の日、カールスガッセの出棺から、葬儀を経て埋葬に至るまで、ドヴォルザークが付き添ったとされている。その間一度プラハに帰ったのだろうか。あるいはずっとウィーンにとどまったのだろうか。
どうも伝記作者の創作っぽい。鵜呑み厳禁だ。
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