9曲クラブ
ドヴォルザーク最後の交響曲は現在でこそ第9番として定着しているが、初版の表紙には「第5番」と書いてあった。その他の交響曲の状況を以下に示す。
- 第1番 初演1936年 出版1961年
- 第2番 初演1888年 出版1951年
- 第3番 初演1874年 出版1911年
- 第4番 初演1892年 出版1912年
- 第5番 初演1879年 出版1888年 ただし「第3番」として
- 第6番 初演1881年 出版1882年 ただし「第1番」として
- 第7番 初演1885年 出版1885年 ただし「第2番」として
- 第8番 初演1890年 出版1892年 ただし「第4番」として
- 第9番 初演1893年 出版1894年 ただし「第5番」として
ドヴォルザーク生前の出版は現行の5番以降の5曲だ。きっちりと出版順に付番されたことが判る。現行番号でいう2番3番4番は微妙だ。生前に初演されながら出版は没後になっている。さらに1番は初演も出版も没後である。
ドヴォルザークの交響曲がはっきりとその全貌を認識されるのは今世紀に入ってからで、出版物として完結するのは1961年ということになる。ここに至ってはじめて新世界交響曲が、「第9番」という認識が定着したということだ。
特に第1番「ズロニツェの鐘」は、ドヴォルザーク自身でさえすっかり忘れていたとされている。新世界交響曲のことを「5番と印刷された8番目の交響曲」と認識していた可能性が高い。交響曲1曲を書いておきながら、すっかり忘れてしまうというのも豪快な話である。
現在でこそベートーヴェン、ブルックナー、マーラーという「9曲クラブ」の一員と認識されているドヴォルザークだが、本人は8曲と思っていたかもしれない。
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