国葬
国家が取り仕切る葬儀くらいのぬるい定義しか思い浮かばない。
1904年5月1日ドヴォルザークがプラハでこの世を去った。兄のような存在ブラームスの没から7年だ。
葬儀は5月5日。国葬として行われた。兄貴分のブラームスでさえ国葬ではなかった。ハンブルク生まれのブラームスは1862年以降ウィーンに定住したが、やはり国葬にはしにくいのだろう。ドイツの国葬にもオーストリアの国葬にもなっていない。
何と言ってもドヴォルザークはオーストリア貴族院の終身議員だった。音楽家としては初めての快挙らしい。もちろんブラームスもなっていない。ドヴォルザークの社会的な位置づけは相当なものなのだ。
オーストリア貴族院の終身議員にして、世界的な作曲家が首都プラハで没したのだ。国葬をしてもどこからも文句は出ない。
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