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2010年5月31日 (月)

室内楽メーカー

音楽之友社刊行の作曲家別名曲解説ライブラリーの中の「ドヴォルザーク」を読む。室内楽のページだ。そこではドヴォルザークを19世紀後半における室内楽の巨匠と位置づけている。

このシリーズ、作曲家毎に作品の全貌が手際よくとりまとめられていて重宝だ。当たり前のことだが、執筆陣は作曲家研究の専門家たちである。当該作曲家のことに詳しいばかりではなく、好きな人たちであると考えられる。執筆者という中立的な立場から逸脱した表現がところどころ現れるのも楽しみの一つになっている。

ドヴォルザークの室内楽概論の執筆者は、深く室内楽を愛しているのだと思う。「19世紀後半における室内楽の巨匠」と位置づけるにとどまらず、ドヴォルザークが手がけた全ジャンルから一つだけを選ぶとしたら、それは室内楽だと断言するのだ。「他を全部捨ててでも室内楽を残す」とまで言い切っている。

さらにそのとばっちりが、ブラームスにまで飛び火している。「他を全部捨ててでも室内楽を残すべき」という形容の前に「ブラームスがそうであるように」とわざわざ言及しているのだ。

もちろんこのあたり一帯の表現に悪意は感じられない。むしろ深い深い愛情の反映であると判るが、これほどの人気シリーズであるから読者層も多岐にわたる。思い切った愛情の表現ではあるが、誤解を招くリスクも覚悟せねばなるまい。

ブラームスに関して言えば私はそうは思わない。「全部捨ててでも室内楽」とまでは思い詰めない。愛情が足りていないのだろうか。

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コメント

<narkejp様

ドヴォルザークを持ち上げるための話の中に、「ブラームスがそうであるように」と言い切っているところが肝です。誤解の発生する可能性をものともしない思い切りだと感じます。

ドヴォルザークの室内楽のお話、興味深く楽しみにしております。
Bを捨ててもいいと思うほどAが良い、という表現は、他方を貶めることで一方を高く見せる、という手法の一種で、一時よく使われたように思います。最近は飽きられたのか、あまり使われなくなっているのかもしれません。

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