クララの演奏旅行先
昨日の記事「気になる」でドヴォルザークはクララ・シューマンに会ったことがあるかという疑問を提示した。もしかして旅先の英国でとも書いた。手掛かりを求めてクララの海外への演奏旅行を調べてみた。
- 1832年 フランス
- 1837年 オーストリア、ハンガリー
- 1839年 フランス
- 1842年 デンマーク
- 1844年 ロシア
- 1846年 オーストリア
- 1853年 オランダ
- 1854年 ベルギー
- 1856年 オーストリア、ハンガリー、イギリス、デンマーク
- 1857年 イギリス、スイス
- 1858年 スイス、オーストリア、ハンガリー
- 1859年 オーストリア、イギリス
- 1860年 オランダ、オーストリア
- 1861年 ベルギー
- 1862年 スイス、フランス、ベルギー
- 1863年 オランダ、フランス、ベルギー
- 1864年 ロシア
- 1865年 ボヘミア、イギリス
- 1866年 オーストリア、ハンガリー
- 1867年 イギリス
- 1868年 ベルギー、イギリス、オーストリア、ハンガリー
- 1869年 オランダ、イギリス、オーストリア
- 1870年 イギリス
- 1871年 オランダ、イギリス
- 1872年 イギリス、オーストリア、ハンガリー
- 1873年 ベルギー、イギリス
- 1876年 オランダ、イギリス
- 1877年 オランダ、イギリス、スイス
- 1879年 スイス
- 1880年 スイス
- 1881年 イギリス
- 1882年 イギリス
- 1883年 オランダ
- 1884年 イギリス
- 1886年 イギリス
- 1887年 イギリス
- 1888年 イギリス
何だか興味深い。クララという人のエネルギーが伝わる感じだ。一方でイタリアが現れないことが目立つ。演奏旅行でなければイタリアに行っているハズだが、コンサートツアーが1度もないとは驚いた。
ボヘミアは1865年に一度きりだ。おそらくプラハなのだと思う。このときドヴォルザークは24歳でプラハに進出を果たしていたが、相当な貧乏だったハズだ。英国で会ったとすれば青文字の3度だけについて可能性が残る。
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