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2010年5月13日 (木)

もう一つの論争

19世紀後半のドイツ・オーストリアの楽壇においてブラームス派とワーグナー派の論争があったことは有名である。

ところが、隣国のチェコでもちょっとした論争があったという。19世紀後半は民族の独立の風潮の中、国民楽派の台頭を見た時期である。民族的な題材を用いたオペラや交響詩を切り開いたスメタナを国民楽派の祖とする考え方が根付いていった。これが一方の当事者だ。もう片方はドヴォルザークである。民族的な素材を用いて民族的な心情を表現したことは事実だが、その器にドイツ・オーストリア伝統のソナタ形式を用いたことが批判の対象になった。目的は同じなのに表現の手段に「標題音楽」を用いるか「絶対音楽」を用いるかの違いに見える。

チェコ国内では、当時スメタナ派有利だったらしい。ドヴォルザークより16歳年長のスメタナは、チェコ音楽界のリーダーとしてドヴォルザーク作品にも理解を示したし、ドヴォルザークもスメタナを先輩として尊敬していたが、周囲はそっとしておかなかった。音楽学者を中心とした論争がドヴォルザークの死後も続いていたという。

一方で国民の支持が厚いスメタナの日常会話は皮肉なことにドイツ語だったらしい。

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