チャイコフスキーの嘆き
本業と平行して著述活動をしていた作曲家は意外と多い。シューマンやワーグナーがすぐに思い浮かぶ。ブラームスやドヴォルザークは違う。このほどチャイコフスキーの文章を見つけた。ブラームスについての見解が書かれている。その中に垣間見えるチャイコフスキーのブラームス観を以下に列挙する。
<プラスのニュアンス>
- 立派で信念に忠実でエネルギッシュ
- ドイツではブラームスに対する愛着が大変広がっている
- 数多くの権威者、あらゆる音楽協会がブラームスの音楽の助成と保護に尽力中
- ほとんどベートーヴェンと同等の扱いを受けている。
- スタイルが常に崇高
- 大まかな表面上の効果をアテにしない
- 妙に新しい楽器の組み合わせで聴衆に不意打ちを食わせない
- 全てが意味深長かつ堅実で、明らかに独立独歩
<マイナスのニュアンス>
- 旋律的な独創性の欠如
- 楽想に特色がない
- よくわかる旋律がほとんど提示されない
- 和声的、副次的、転調的な付属物で埋め尽くされている
明らかにチャイコフスキーは困惑している。彼の感性に照らせば、ブラームスのドイツでの高い位置づけが不可解なのだ。短い文章の中に称賛と非難が交互に現れる。挙げ句の果てに想像力の欠如を埋め合わせるために、深遠さを装っていると推測し、「何よりも美しさが欠けている」と結ぶ。
様々な立場の読者を意識して公表された文章ならではの、迂回した言い回しに溢れていることに感心する。ハンスリック、ビューロー、カルベック、ガイリンガー等ブラームス党員たちの称賛一辺倒よりもある意味で公平とも感じる。下手をすると苦笑いをしながらブラームスも同意しかねない説得力が宿っている。
もう一度上記のマイナスのニュアンスで挙げられたことをよく読んでみる。チャイコフスキーは、自分はそれらを全て克服済みだという立場だと思われる。同様に克服済みなのがドヴォルザークだとも感じる。チャイコフスキーのこの原文にはドヴォルザークが念頭にあったとは思えないが、さんざん指摘されているドヴォルザークの長所にピタリだ。おそらく指摘事項を多分にブラームスは意識していると思う。自らに不足する要素を併せ持つドヴォルザークへの肩入れがその証拠だ。
チャイコフスキーの誕生日は5月7日だ。本来明日公開したい記事だが、今年ばかりはそうも行かぬ事情がある。
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