ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月31日 (土)

プライド

大抵「誇り」と訳される。持っていたいと思うが、高過ぎると邪魔になることもある。バランスが大切だ。ブラームスも持っていたと思う。しかも相当高かったと感じている。

ブラームスが生涯オペラを書かなかったことは有名だ。無様な作品を残して後世笑われることを断固拒否した。つまりこれがプライドの表れだと感じる。オペラに関心があったことは複数の友人が証言している。それどころか彼は名うての「劇場通い」だった。ウィーンで演じられるオペラやオペレッタはほとんど観ていたと解して良いほどだ。

オペラを書きたいと思っていたことは確実だ。それなのにとうとう一曲も書かなかった第一の原因は、気に入った脚本が見つからなかったことだという。

そしてもう一つプライドだ。

書いたとしても1曲か2曲になったに違いないオペラが、ヨハネス・ブラームスが唯一失敗したジャンルになることを恐れたのだと思う。書く以上傑作でなければならぬのだ。当時楽壇を二分した論争の、片方の当事者が相手方の主たる活動領域であるオペラを発表するとなれば、否が応でも注目される。それが乾坤一擲の大傑作が当たり前で、万が一失敗でもすれば「ほらやっぱり」の大合唱になる。オペラと交響曲の両分野で傑作を残すという偉業は魅力的だけれども、相応のリスクを伴うのだ。

交響曲や協奏曲、室内楽あるいは歌曲の業界でブラームスが獲得している名声に恥じないオペラを書くのは相当大変だと思う。

問題は脚本だ。作曲の不出来ならば100%自分の責任だが、気に入った脚本が見つかるかどうかは運試しという側面が強まる。楽壇の大御所となった後、オペラの脚本をブラームスに提供しようと試みた者は多いが、それら全てが最終的に却下された。気に入った脚本を自作するところまでエスカレートしないのはブラームスらしい。文学への素養は高いが自作のテキストに曲をつけたことは一度もない。これも音楽家であるという強烈なプライドの裏返しに見える。

良い脚本に恵まれなかったというだけならドヴォルザークと同じだ。それでも11のオペラを書いたドヴォルザークと、オペラ無しのブラームスを分かつものは、文学的素養とプライド、そしておそらく少々の臆病だと思う。

2010年7月30日 (金)

文学の素養

ブラームスがドヴォルザークの才能を愛したことは確実だが、音楽的才能を絶賛するばかりではなかった。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻の153ページに辛口の批評が載っている。1896年2月16日のホイベルガーの証言だ。

「ドヴォルジャークは、これ以上無いほど熱心なのに、それが災いしたのか文学をほとんど知らないんです。それどころか音楽書にもうとい。まあ一般教養は足りないが非凡な能力に恵まれているわけですな」

含蓄がある。音楽的才能に見合った文学的素養が欠けているという所見だ。音楽的才能への絶賛の裏返しだとも読める。文学的素養がついて行かないほどの楽才だということだ。次から次への旋律を生み出す能力(=旋律埋蔵量)だとひょっとすると負けているかもしれないが、文学的素養はオレのが上だくらいなニュアンスだと思う。作曲家の文学の素養は声楽曲を作曲するに際してのテキスト選択のセンスに反映する。

文学的才能がついて行かないとどうなるのか。

ドヴォルザークは全部で11のオペラを書いたが、本人の願望にも関わらずチェコ国外で名声を獲得するには至らなかった。11のうち8作がブラームス存命中に成立していながら、昨年7月29日の記事「オペラの話題」のリストにドヴォルザークの作品は現れない。魅力溢れる旋律を創造する能力に、脚本がオペラとして処理できるかを客観的に見極める能力が追いついていない。あれもこれもと手を染める脚本の拙さに足を引っ張られた。脚本の矛盾をも覆い隠して見せたモーツアルトや、好きなように脚本から作り上げるほどの才能ではなかったと申しては言い過ぎか。

場合によってはシューベルトだってテキストの選択があられもないと評する向きもある。

一方ホイベルガーはいくつかの声楽曲のテキスト選択を「教養があるね」と言ってブラームスから誉められているが、肝心な作曲ではコテンパンに批判されている。ドヴォルザークとは逆だ。

バランスが難しいのだ。

2010年7月29日 (木)

メト

ニューヨークにあるメトロポリタンオペラハウスの略称。米国随一にして世界屈指の歌劇場の一つだ。1883年竣工だが、1892年8月27日に火災に遭ったらしい。ドヴォルザークがニューヨークの地に初めて立ったのが9月27日だから、そのわずか1ヶ月前のことだ。もちろん速やかに復興された。

ドヴォルザークは2年半の米国生活の本拠は、ほぼニューヨークだった。ところが不思議なことにドヴォルザークがメトを訪れたのは1度きりで、それも途中で退席したと言われている。そこそこ以上の音楽好き、オペラ好きが2年半もニューヨークに滞在してメト詣でが1回だけとは、理解に苦しむ。ドヴォルザークほどの大物だったら、貴賓席で只見出来たに違いないからもったいないことこの上ない。

田舎育ちのドヴォルザークは早寝早起きが基本だ。オペラの終演が夜遅くなることをドヴォルザークが嫌ったからだと説明されている。

そういえばブラームスは8回に及んだイタリア旅行中に、オペラを鑑賞していない。夜更かしを嫌ったせいだと友人の一人が証言している。

2010年7月28日 (水)

ドヴォルザークのオペラ

思えば「謝恩クイズ」の結果発表がちょうど1年前だった。

ドヴォルザークのオペラが何曲あるか即答出来る人は多くないと思う。答えは11だ。

  1. アルフレート 
  2. 王と炭焼き 初稿
  3. 王と炭焼き 2稿
  4. 頑固者たち
  5. ヴァンダ
  6. いたずら百姓
  7. ディミトリー
  8. ジャコバン党員
  9. 悪魔とカーチャ
  10. ルサルカ
  11. アルミダ

以上だ。「王と炭焼き」は、同じ脚本に2度曲を付けたというオペラ史上希な偉業だ。これを2と数えて合計11だ。一番有名なのが「ルサルカ」だと思われる。私は恥ずかしながらルサルカだけしか聴いたことが無い。しかもハイライトだ。作品解説のスタンダード、音楽之友社刊行の作曲家別名曲解説ライブラリー「ドヴォルザーク」においても全曲が解説されていない。「悪魔とカーチャ」と「ルサルカ」だけが解説され、あとは概論だけだ。

このリストを見るだけでドヴォルザークの苦難が偲ばれる。偉大なオペラを残したいという狂おしい思いが感じられる。ワーグナー路線あり、ナンバーオペラありの試行錯誤の跡が伺える。

そしてドヴォルザーク自身を引き裂いた大きな矛盾がある。ドヴォルザークが目指したのは、チェコ民族の思いを音楽で代弁することだ。このことがオペラという分野における世界的な名声の獲得と、避け難い矛盾を引き起こす。オペラという分野にはテキストが必要だ。チェコ民族の自立と誇りを旗印に作曲をする限り、テキストの言語はチェコ語でなければならない。イタリア語はともかくドイツ語は、政治的な論争のタネになりかねない。けれども音楽的な価値がどれほど高かろうと、それがチェコ語のテキストを持ち、プラハでばかり演じられている限り、国際的名声には繋がりにくい。

交響曲や室内楽にはテキストがない。オペラでは避け得ない矛盾を迂回することが簡単に出来てしまう。オペラを欲したことに関してはブラームスも同じだが、言語を巡るこうした矛盾は、ブラームスでは起き得ない。

2010年7月27日 (火)

リピートのフェイク

ドヴォルザークの交響曲第8番の話をする。第1楽章は調号としてシャープ1個が与えられている。世間様ではト長調と呼び習わしている。ところが、冒頭いきなりチェロがト短調でコラールを放つ。ディスイズドヴォルザークな瞬間だ。聴き手の耳に強く残る。

やがて126小節目。「Un poco meno mosso」でチェロの冒頭主題が再現される。聴き手は、芳醇なト短調にさらされて冒頭に戻った気分になる。つまり125小節目の末尾にリピート記号があると思い込むのだ。ソナタ形式の提示部特有のリピート記号だ。

注意深く進むといい。143小節目までは楽章冒頭と同じ枠組みが維持される。144小節目で聡明な聴き手は気付く。冒頭ではヴァイオリンによるピアニシモのロングトーンだったト長調のドミソが、ここでは刻みに変わっているばかりか、ひそかにヴィオラが加わっている。すぐさま滑り出すフルートのソロは、頑固に冒頭そのままだ。149小節目のオーボエの合いの手に至って初めて、冒頭の枠組みからの逸脱が決定的になる。リピート記号によって主題提示部が繰り返されているかのような気にさせながら、じつは密かに展開部をひた走っているという訳だ。

提示部の末尾にリピート記号が存在しないだけなら7番も一緒だ。しかし7番では、展開部突入が、提示部に似せられてはいない。

こうしたリピートのフェイクは、ブラームスに先例がある。交響曲では第4番だ。室内楽ではピアノ四重奏曲第1番にのみ存在する。さらに、ブラームスはリピート記号のフェイクにより、展開部の冒頭で第一主題を偽装提示した場合、本当の再現部においてはキッチリとした再現を回避する。第4交響曲もピアノ四重奏曲第1番もそうだ。驚いたことにドボ8はこの点まで見習っている。特に交響曲第4番は、時期的にもドヴォルザークの8番にわずかに先行する。ドヴォルザークが見習った可能性をひそかに考えている。

2010年7月26日 (月)

作品番号の錯乱

ブラームス作品にただどっぷりと浸かっている間にはわからなかったが、ドヴォルザークに親しむようになって感じていることがある。

それが本日のお題だ。

モーツアルトもベートーヴェンもブラームスも作品番号の順番が概ね作曲の順番になっている。もちろん少々の例外もあるが、作品番号順に並べた作品リストがそのまま創作史になる。バッハのBWV番号はジャンル別に整理されたものだからそうはいかいない。作品に通し番号を振る発想がなかったからやむを得ない。

驚いたのはドヴォルザークだ。ドヴォルザーク作品には作品番号を現す「op」の他に「B」という文字を伴う番号が添えられている。ブルクハウザーによる整理番号だ。つまり「op」という体系に不備があるから第二の体系が生まれたということだ。

ドヴォルザークの作品番号の不備は、出版の事情による。「スラブ舞曲」のブレークでスターダムにのしあがった後、ドヴォルザークの作品は引く手あまたになった。スラブ舞曲以前の未発表未出版の作品が発掘出版された。その手法がいささか強引で、旧作であるのにあたかも新作であるかのような作品番号が付与されたのだ。あるいは勝手に番号を付け替えるなどということも起きていた。ドヴォルザーク本人への相談もなしにという強引なケースもあったという。多くは出版社ジムロックの仕業である。ブラームスの作品ではその手のことが起きていないから、対応の差は歴然だ。

あるいは、ドヴォルザークはドヴォルザークで知り合って以降の作品についてその出版優先権をジムロックに認めていた。その約束をごまかすために、新作に古い番号を付けて他の出版社から刊行するということもしていたらしい。どっちもどっちである。

ブルクハウザーもこれを不便と感じたのだろう。ドヴォルザークの作品を丹念に調べ直して作曲年代順にソートして番号を付与したのがブルクハウザー番号だ。

2010年7月25日 (日)

Lunga Corona

ドヴォルザークのピアノ曲集「詩的音画」の第6番「悲しい思い出」の60小節目に存在する。「Corona」は「フェルマータ」のことだ。なるほど、そういえばフェルマータの上に書かれている。「停止を長く取れ」という解釈でよさそうだ。

ブラームスには「Corona」という言葉は現れない。もし「停止を長く取れ」と言いたい時は、下記のようにフェルマータの上に単に「Lunga」と書くだけである。

  1. ラプソディート短調op79-2 85小節目
  2. 交響曲第3番ヘ長調op90第3楽章 98小節目
  3. インテルメッツォop117-3 45小節目

実際フェルマータの上に「Corona」と書かれているのは、何だか美しい。

2010年7月24日 (土)

作曲の着手日

音楽之友社刊行の「作曲家◎人と芸術」シリーズは手軽に大作曲家の概要を把握出来て便利だ。巻末の索引や作品一覧も一段と重宝である。

ドヴォルザークだ。

巻末の作品一覧を見て驚いた。作品の作曲された時期についての記述がやたらに細かいのだ。●年●月●日~○年○月○日という具合だ。ほとんどの作品でこういう書き方がされている。ブラームスではあり得ない。

何故これほど詳しく解るのだろう。

ドヴォルザークが詳しい記録を残したか、自筆譜に記載されているからとしか考えられない。この点は無理矢理納得するとして、次なる疑問もある。

作曲の着手日が何故こうも詳しく解るのだろう。「作曲の着手」とはそもそも何が始まった日なのだろう。最初の構想が頭をよぎった日なのか、ジムロックから依頼を受けた日なのか、出版社に渡す原稿を書き始めた日なのか、さっぱり見当がつかない。作品の完成した日であれば、ある程度定義は共有出来るが、着手日の定義は難しいと思う。

その難しい「着手日」がほとんどの作品について解っているのがドヴォルザークだ。ブルクハウザー番号は、そうした記載を丹念に調査することで生まれ得た。

着手日ついては、ほぼ何も解らぬブラームスとの差は余りに大きい。

2010年7月23日 (金)

完成年月日

ドヴォルザークの作品は作曲の着手日と完成日が判明していることが多い。ドヴォルザークピアノ作品全集の楽譜を眺めていて、奇妙なことに気付いた。作品の最後、終止線の下に年月日とおぼしき数字が記入されている。名高い「ユーモレスク」op101-7で言えば「16.8.1894」となっている。どうもこれが1894年8月16日を現し、作品完成の日付のようだ。

全部の作品に記されているわけではない。我が家にある管弦楽や室内楽の楽譜には書かれていなかった。国内版やオイレンブルク版には書いていない。もちろんブラームスでもこういうことは起きていない。もしやと思って確認すると、先ごろ入手した「糸杉」の弦楽四重奏版や、「マリチコスチ」には書かれている。つまり書かれているのはスプラフォン版に限られているのだ。

おそらくこれは自筆譜の記載を正確に反映したものなのだと思われる。ドヴォルザークは自筆譜の最後に完成年月日を書き記していたのだ。そういえば一部の楽譜には完成の場所とおぼしき地名も併記されている。

2010年7月22日 (木)

左富士

旧東海道の名所。広重の東海道五十三次の吉原では、京都に上る旅人の進行方向左手に富士が描かれる。東海道を京に上る場合、霊峰富士の姿は旅人の右手にあるというのが常識だ。ところが、富士川の氾濫対策のため東海道の道筋が少々迂回させられたために、この近辺でのみ富士が左手に見えるというカラクリである。その珍しさにより名勝となってしまったということだ。

似た話は、東海道新幹線でも味わえる。新大阪から東京に向かうとしよう。静岡・安倍川鉄橋付近で、富士山が進行方向右側に見える。新幹線上りの乗客が富士山を堪能しようと思ったら、進行方向左が上席だ。座席番号で言えば「E」がベストだ。同じ窓側でも「A」になってしまうとガッカリである。ところが静岡・安倍川付近で思いがけなく富士山が拝めるのだから有り難みは大きい。

富士山そのものは微動だにしない。当たり前の話だ。街道や鉄路の微妙なコース取りで見え方が変わり、名勝になってしまうということだ。

一方私が幼い頃過ごした千葉から東京に向かうには、鉄道のルートが5つある。JR総武線、京成本線、東京メトロ東西線、JR総武快速線、JR京葉線だ。房総半島西岸を東京目指して走る場合、富士山は左手だ。ところが、東京湾の最深部船橋市付近を過ぎる頃、線路が大きく左にカーブすると、富士山が右手に見える。総武線では小岩駅付近、東京メトロ東西線では西船橋を出てすぐ、京葉線では二俣新町を出てすぐだ。その後しばらく富士が右手に見えるという訳だ。

富士をブラームス作品に置き換える。楽譜として残されたブラームスの作品は変わらない。それに対するアプローチが変わる。演奏や解釈が変わる、あるいは聴き手の感性が変わる。これにより作品の聞こえ方が変わるということだ。

ブログ「ブラームスの辞書」は、ブラームス作品への新たなアプローチのツールとして存在したいと願う。思いがけないところに「左富士」が見たいのだ。既に名高い「東海道の左富士」ではなく、「総武線の左富士」あたりが理想である。

2010年7月21日 (水)

特急の愛称

特急列車には愛称がある。「のぞみ」「ひかり」「こだま」の類だ。鉄道の旅を魅力あるものにしてくれる小道具だ。

欧州でも事情は同じらしい。

クララ・シューマン号という列車があるそうだ。ブラームスの故郷ハンブルクからベルリン、ライプチヒ、ニュルンベルクを経てミュンヘンを結んでいる。ライプチヒはもちろんクララの故郷だ。ライプチヒが終点だったらなお良かった。ミュンヘンまでの延伸は余計な気もする。

音楽史上屈指の鉄道マニアであるドヴォルザークの名は、ウィーン-プラハ間の特急の名前になっている。プラハ近郊に生まれ、ウィーンのブラームスに見いだされた彼の経歴を思うと納得させられる。

肝心なブラームスを列車の愛称にしている話は聞かない。第一の候補はハンブルク発ウィーン行きだ。ウィーン発ベルン行きでもいい。国際列車にならない点に目をつむれば夏の間だけウィーンとイシュルを結ぶ臨時列車を走らせるのもオツだ。

ワグネリアンに乗ってもらえまいから採算は度外視でお願いしたいものだ。

2010年7月20日 (火)

起死回生

危ない状態からの挽回とでも言うのだろうか。

6月22日の「記事1897本」でも述べたとおり、先月6月は1ヶ月で6本しか記事が書けなかった。仕事の都合やワールドカップの兼ね合いでたまたまそうなったのだと思っていたが、7月に入ってもいっこうに改善せず、往生した。

昨日までの3連休の間一気に20本以上書けた。まさに起死回生だ。何はともあれ一安心だ。書けないときのメンタルケアがとても大切だ。

2010年7月19日 (月)

楽屋にて

昨日の記事「夢の弦楽合奏団」の裏側だ。

本当はこのノリでオーケストラを作りたかった。作曲家の伝記の中で関わったことが確認出来る楽器であることが参加の条件だが、管楽器打楽器は思ったより層が薄い。バッハの次男、カール・フィリップ・エマニュエルとシューマンのフルート、ホルストのトロンボーン、ヒンデミットのクラリネット、あるいはリヒャルト・シュトラウスのトライアングルくらいしか見当たらない。ブラームス本人はホルンも習っていたようだ。指揮やピアノあるいはオルガンは大勢いるがこの際役に立たない。

それでもヴァイオリンには華麗な名手が集まった。作曲より演奏で有名な人もいる。サラサーテを入れるならヨアヒムも入れねばならないかもしれない。ヴィオラも興味深い。濃いメンツだと思う。ブラームスもこちらにと思ったが、チェロ、バスが薄くてやむなしだ。チェロは文豪ゲーテに応援を頼む始末である。ヴァイオリンに比べると名人度は低いから心配だ。コントラバスに至ってはブラームスの父親を無理矢理引っ張り出すありさまだ。幼い頃手ほどきで与えられる楽器としてコントラバスやチェロが選ばれる確率は少し低いのだ。ヴィオラも事情は似ているが、ヴァイオリンとかけもちだから人材は集まり易いと思われる。

悪のりのついでに楽団役員も決めた。これは学生オケでありがちな役職になっている。鉄道好きのドヴォルザークは運搬が適任で、古楽譜収集家で、複数の出版社に顔が利くブラームスはライブラリアンがはまり役だ。几帳面に家計簿をつけていたシューマンは会計が適任。宴会係のベートーヴェンもピッタリ来る。

幼少の頃手ほどきを受けただけという楽器もある一方、当代屈指のヴィルトゥオーゾも混在する寄せ集め楽団の指揮をするのはメンデルスゾーンだ。彼は近代指揮法の確立者としても知られる存在だ。噂によるとゲーテさんを引っ張り出したのは彼の功績らしい。副指揮者マーラーは作曲よりも早く指揮で認められたから適任だ。

さっきブラームスからメールが入って、演奏が上手くいったと言っていた。リヒャルト・シュトラウスの「23の独奏楽器のためのメタモルフォーゼン」だったらしい。コントラバスが少々足りないと思うが、エキストラを呼んだのだろうか。

本日のこの記事で5月30日から続いた「室内楽特集」を終える。

2010年7月18日 (日)

夢の弦楽合奏団

古今の大作曲家たちは、作曲の他に演奏にも堪能であったことが伝えられている。当代最高の演奏家でもあった作曲家は少なくない。そこで、古今の大作曲家たちを集めた架空弦楽合奏団を考えた。

<役員>

  • 団長 ヨハン・セバスチャン・バッハ
  • 副団長 アントニオ・ヴィヴァルディ
  • 正指揮者 フェリックス・メンデルスゾーン
  • 副指揮者 グスタフ・マーラー
  • 会計 フランツ・シューベルト/ロベルト・シューマン
  • 渉外 ヨハン・シュトラウス/アルノルト・シェーンベルク
  • 第一コンサート・マスター ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト
  • 第二コンサート・マスター パブロ・デ・サラサーテ
  • ライブラリアン ヨハネス・ブラームス
  • 運搬 アントニン・ドヴォルザーク
  • 宴会 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン

<第1ヴァイオリン>

  1. ウォルフガング・アマデウスモーツアルト コンサートマスター。一癖も二癖もある連中をまとめるならこの人をおいて他にいないが、一緒になって騒ぎはしないか心配だ。
  2. パブロ・サラサーテ 盛んにソロを弾きたがる。
  3. ニコロ・パガニーニ 次期コンマスの座を虎視眈々と狙う。
  4. ヨハン・シュトラウス ワルツやポルカを演奏する場合にはコンマスになる。
  5. ウイルヘルム・フリーデマン・バッハ 相当の名手だったらしい。
  6. エドワルド・エルガー

<第2ヴァイオリン> セカンドが上手いと締まるのは野球チームもオケも同じだ。

  1. ヤン・シベリウス セカンドヴァイオリンのトップは、なり手がなくて困った。
  2. アントニオ・ヴィヴァルディ 
  3. ミヒャエル・ハイドン
  4. ベドルジバ・スメタナ
  5. ゾルダン・コダーイ
  6. カール・シュターミッツ

<ヴィオラ> 濃いメンツになった。

  1. ヨハン・セバスチャン・バッハ 扇の要です。当楽団の団長。
  2. ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン 腕は確かなのだろうか。
  3. アントニン・ドヴォルザーク 腕は相当確かだ。  
  4. フランツ・シューベルト
  5. エドワール・ラロ
  6. パウル・ヒンデミット 

<チェロ> はっきり言って心配。

  1. ロベルト・シューマン  演奏するよりコンチェルト書く方が楽かも。
  2. ヨハネス・ブラームス 本当はヴィオラが弾きたいところだが恩師に誘われて。
  3. ジャック・オッフェンバック
  4. アルノルト・シェーンベルク
  5. ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ 背に腹は代えられぬと見た。 

<コントラバス>

  1. ヨハン・ヤーコプ・ブラームス(エキストラ) 嫌がるブラームスをバッハさんが説得してやっと連れてきた。コントラバスは手薄だ。

ブラームスとドヴォルザークが慌てて帰っていったのはこのためだったのだ。

2010年7月17日 (土)

お盆のファンタジー5

今朝部屋に見慣れぬ携帯電話が落ちていた。子供たちのものではない。

ドヴォルザークと我が家を訪れたブラームスの忘れ物だ。そういえば何でも「天国作曲家境界合奏団」の演奏会があると言ってあわてて帰って行ったから忘れたのだ。

何の気無しにいじっていたら、短縮ダイヤルのリストが表示された。

  1. クララ おお。やっぱり「1」はクララだった。
  2. マリー これはクララの長女だ。雑用はマリーと打ち合わせていたのだ。
  3. トルゥクサ夫人 ウィーンの自宅を預かってもらうのだから当然だ。
  4. カロリーネ 父の2人目の妻。つまり継母だ。
  5. ジムロック 財産管理人だからあって当然だ。
  6. マンディ 一の子分で秘書代わりのマンディチェフスキーだ。
  7. 楽友協会 ウィーン楽友協会の事務局だろう。
  8. 赤いハリネズミ ウィーンの行きつけのレストランだ。急な予約も入れるのだろう。
  9. ジンクアカデミー これはジンクアカデミーの事務局だと思われる。
  10. 音楽家協会 ブラームスはここの名誉会長だから当然か。
  11. ヨアヒム そりゃそうだろう。
  12. ビルロート ウィーンで急に飲むこともあったに違いない。
  13. ヴィトマン 喧嘩はやめたようだ。
  14. ビューロー 
  15. カルベック   
  16. ハンスリック
  17. シュピッタ
  18. ドヴォルザーク 昨日帰ったばかり。 
  19. 熊亭 イシュルのレストランだ。
  20. APJ 

最後の「APJ」の番号を見てぎょっとした、私の番号が入っている。「アルトのパパ・ジャパン」だろうと思う。どうも最近身に覚えのない着信が多かったが、ブラームスからだったのかもしれない。

2010年7月16日 (金)

リピート記号

楽曲の一部または全部を繰り返すための記号だ。むかしむかし、貴族の娯楽として音楽作品が量産されていた時代、出来るだけ長く演奏を持たせるためにリピート記号を挿入したらしい。ディヴェルティメントに見られるリピート記号がそれだ。雇い主様の求めに応じて演奏時間をいかようにも調整出来るようにという魂胆も見え隠れする。

ソナタ形式の楽曲の中にもしばしば出現する。その場合大抵は、いわゆる「提示部」という箇所を繰り返すような設定になっている。展開部に突入する前に念押しをするような格好だ。時間稼ぎの目的はブラームスの時代には薄れて来ようが、意識の片隅にはあったと思う。また舞曲楽章の中に現れるリピート記号は、トリオを経た後の再現では省略される。

話はソナタに戻る。ソナタ形式の楽曲全てに存在する訳でもないところが悩ましくもある。2006年1月4日の記事「提示部のリピート記号」でも言及した通りである。提示部の最後にリピート記号を置くかどうかの基準はさっぱり判らぬままである。

さらに厄介な問題もある。置く置かないの基準が曖昧なことは作曲家の判断に属する問題だから諦めるとして、れっきとして書かれているリピート記号を実際に演奏するしないの基準はどうなっているのだろう。

私がクラシック音楽に目覚めた頃、レコードに収録された演奏ではソナタ形式の提示部末尾のリピート記号は省略されるのが普通だった。リピートを省略しない演奏があると、解説文の中で特記されていた。それほど省略が当たり前だった。

作曲家は演奏されることが前提でリピート記号を書いていると思う。ブラームスもそうだろう。それどころか通常あるはずの位置にリピート記号を置かないで聴き手を欺くこともあった。第4交響曲やピアノ四重奏曲第1番がその例だ。そうした細工はリピート記号が守られることを前提にした仕掛けだから、リピート記号の省略が習慣化してしまうと効果が減じられてしまう。

問題はそうした省略の慣習がいつ始まったかだ。断言は慎みたいが、LPレコードの収容時間に関連した業界の都合だった可能性を疑いたい。最近リピート有りの演奏が増えたのはCDの普及と関連があるような気がする。

ディヴェルティメントじゃあるまいに、およそソナタに関する限りブラームスは自分の書いた音符がリピート記号も含めて必ず再現されると考えていたと思う。「提示部の末尾に必ず置かれる飾り」という程度の認識だったら、ソナタ形式の楽章全てにリピート記号を置いたはずである。現実にはリピート記号の有無が混交しているから、リピート記号に積極的な意味を認めざるを得ない。

2010年7月15日 (木)

興味津々

至宝クラリネット五重奏曲ロ短調には、まばゆい前例がある。モーツアルトのイ長調五重奏曲だ。弦楽四重奏にクラリネットを加えた盤石の編成だ。他にウェーバー、レーガー、ヒンデミットあたりがすぐに思い浮かぶ。

さてさてドヴォルザーク関連の書籍を調べていてお宝情報に巡り会った。ドヴォルザークにもクラリネット五重奏曲があったらしい。変ロ長調か変ロ短調だったという。B管用に違いない。何と1869年ドヴォルザーク28歳の作品だ。ブラームスより20年以上古い。出版はされておらず、散逸扱いされている。

円熟期の管弦楽曲でのクラリネットの扱いを思うにつけ、さぞや素晴らしい曲だったのではないかと想像する。作品廃棄に対する感覚はブラームス程厳格ではなかったから、散逸した作品が傑作だった可能性はブラームスより高いと思う。

2010年7月14日 (水)

お盆のファンタジー4

昨年のお盆は、ブラームスとヨアヒムのコンビにすっかりかき回されてしまい、徹夜明けでバタバタと帰っていった。おかげで「来年もおいでください」と言いそびれた。だから心配していたのだが、ブラームスは何食わぬ顔でやってきた。迎え火を焚くのを待ちかねたように入ってきて、連れを呼んでもいいかと尋ねて来た。「もちろんだ」と答えると玄関の外にいた紳士を招きいれた。

見事なヒゲ、人なつっこいつぶらな瞳。ドヴォルザークだ。

昨年の9月8日からカテゴリー「303 ドヴォルザーク」で盛り上がっているのを知っているのかもしれない。大歓迎だ。娘らには「遠き山に陽は落ちて」のおじさんだと紹介した。「おぉぉ」ってな反応だ。ドヴォルザークは1男2女を早くに亡くしている。我が家の子供たちも偶然1男2女だ。子供の話で盛り上がりそうな感じである。きっと子煩悩なのだろう。

程なく私の巨大ヴィオラを興味深げに取りだした。ブラームスが「こいつは作曲よりヴィオラが本職だ」とつっこみを入れる。「何たってスメタナの名高いカルテットの非公開初演でヴィオラを弾いたくらいだからな」と付け加えた。私が「何故ヴィオラソナタを書かなかったのだろう」と言うとブラームスは「オレが書いていないから遠慮したんだろう」とさらに突っ込む。

ブラームスのソナタの楽譜を恐る恐る差し出すと、ドヴォルザークの目が輝いた。これから弾いてくれるという。変ホ長調にしようというドヴォルザークの提案だ。ピアノはもちろんブラームスだ。暗譜しているらしい。

こんなことならドヴォルザークのテルツェットを娘らと練習しておくんだったと思ったが後の祭りだ。私が困っていると次女がトロンボーンを持って入ってきた。お礼の演奏は、昔楽譜を書いてやった「アヴェマリア」を吹くという。ブラームスは、キョトンとしている。昨年はヨアヒムと盛り上がり過ぎて、ブラバンでトロンボーンを吹いていることを言いそびれていたのだ。訳を話すとブラームスが伴奏を買って出てくれた。これも当然暗譜しているハズだ。

そうだ。長男に言ってプラレールセットを準備させよう。鉄道好きなドヴォルザークのことだ、きっと喜んでくれる。

2010年7月13日 (火)

ヴィオラ使い

将棋で似た言い回しがされることがある。特定の駒の使い方が上手い棋士を指す場合だ。周知の通り将棋は8種類の駒を適材適所に使い分けて相手の王将を詰ませるゲームだ。駒には一つ一つキャラが設定されている。棋士はそのキャラを知った上で適材適所、そして適時に用いる。

特定の駒の用い方で、棋士仲間を唸らせるような使い方が頻繁におき、結果としてそれが勝利に繋がるという実績がある程度積み重なることで「歩使いの名人」「香車使いの達人」「桂馬使いの名手」というような呼び方をされるようになる。飛車角のような大駒や、金銀のような金駒の場合には言われにくいかもしれない。「飛車使いの名人」などと言われると、「王より飛車をかわいがる」的な緩さも感じてしまうからだ。歩、香車、桂馬あたりまでが適任だと思われる。

相手を攻める急所での妙技もあれば、首の皮一枚でしのぐ絶妙の受け手の場合もあろう。もっと言うと「攻めながら受ける」や「受けながら攻める」というような攻防の一着もある。

将棋の駒を楽器に読み換える。大管弦楽、あるいは室内楽での楽器の用い方という切り口だ。あまり編成の薄い室内楽では相応しくない。ヴァイオリンソナタの名曲をいくら生み出していても「ヴァイオリン使いの名人」とは言われまい。将棋で大駒や金駒が言われにくいのと同じだ。歩、香車、桂馬に相応しいとなると俄然ヴィオラが浮かび上がる。

大作曲家と言われる人たちは、楽器のキャラをしっかり踏まえた上で声部を割り付けるから、どの楽器も上手く使えているには違いないが、特にブラームスは「ヴィオラ使い」だと思う。

定義は実に曖昧で雲をつかむような話だが、少なくともヴィオラ弾きを泣かすような絶妙の使い方がされていると思う。ド派手なソロにありつく頻度は、定義としては不完全だ。他の作曲家の全作品を弾いたことがないから、比較も確認も出来ないが、漠然とブラームスはそう感じる。あるいはドヴォルザークも、特に室内楽でときどきそう感じる瞬間がある。

2010年7月12日 (月)

さざなみはソプラノ

事前に「お叱り覚悟」と宣言して、荒唐無稽な仮説をひけらかす癖が止まらない。昨日がそうだった。

ブラームスのチェロソナタ第2番(1887年)の冒頭と、弦楽五重奏曲第2番(1890年)の冒頭だ。この両者は以下の点において共通する。

  1. テノールの音域のチェロがフォルテで旋律を提示する。
  2. ソプラノの音域にて16分音符のさざなみが伴奏する。

この枠組みが1892年作のドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」の冒頭にも現われるということを指摘し、偶然にしてはおいしいと私見を提示したつもりだ。唯一アメリカ四重奏曲の冒頭では旋律がヴィオラに差し替えられているが、テノールの音域であることは動かない。

さてドヴォルザークの名を世界に知らしめたスラブ舞曲の第2集の冒頭第9番の中間部には、アメリカ四重奏曲の冒頭旋律が短調で出現する。1度目の提示では明確ではないが、2度目に提示される時は「テノール音域の旋律&ソプラノ音域の16分音符の伴奏」という枠組みになっている。1886年の作品だ。

さらに6年遡る。ピアノ独奏曲「エクローグ第4番」op56-4にも全く同じ旋律が短調で出現する。驚いたことに旋律はピアノの左手、16分音符の伴奏が右手だ。つまり上記1,2の枠組みになっている。

アメリカ四重奏曲冒頭の名旋律は、12年前の初出の時から「テノール音域の旋律&ソプラノ音域の16分音符の伴奏」という枠組みだった。

恐ろしくなってきた。真似したのはブラームスかもしれない。

2010年7月11日 (日)

さざなみの系譜

「ブラームスの辞書」では2つの音が交互に繰り返される音形をしばしば「さざなみのような」と表現している。実例は以下の通りである。

  1. 弦楽六重奏曲第2番第1楽章冒頭 第1ヴィオラ。GとFisが移弦を伴って延々とくり返される。
  2. 交響曲第1番第4楽章31小節目 ヴァイオリンとヴィオラ。Piu Andanteの2小節目。アルペンホルンのバックに配されたさざなみだ。
  3. チェロソナタ第2番第1楽章冒頭 ピアノ。AとFisの交代だ。
  4. 弦楽五重奏曲第2番第1楽章 ヴァイオリン2本とヴィオラ2本。

見ての通り全てが伴奏のパートに現れる。さらにこのうちの3番目と4番目は1886年、1890年という具合に作曲年が近い。ソプラノ音域に置かれたさざなみの下、テナーまたはバリトンの音域で雄渾な旋律が放たれる。ダイナミクスはほぼフォルテと思われる。そしてどちらも第一楽章の冒頭つまり作品の冒頭だ。

まさかと思うことがある。

この作品冒頭におけるさざなみの系譜は、1892年に生まれたドヴォルザーク室内楽の最高傑作、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」の冒頭にひそかに受け継がれているような気がする。

お叱りはもとより覚悟の上でござる。

2010年7月10日 (土)

楽章の切れ目

ソナタと言われる作品群は、小楽曲の集合という形態を採る。ソナタを構成するそれら小楽曲が楽章と呼び慣わされている。楽章の終わりには終止線が置かれているのが普通だ。次の楽章までの間、演奏者たちの過ごし方に作曲家は関与していない。

しかし、ベートーヴェンはこの前提に疑問を提起する。有名なのは交響曲第5番で、第3楽章スケルツォからフィナーレの間に切れ目が存在しない。続く田園交響曲でも同様のトライを行った。極めつけは弦楽四重奏曲第14番だ。全曲切れ目がない。

ベートーヴェンに続く世代、つまりロマン派の初期の人たちはこの手法をこぞって取り入れる。楽章間をつなげる手際までも鑑賞の対象とみなされる。楽章間の咳払いがうるさいからなどという無惨な理由ではないと思うが、19世紀初頭に生まれたロマン派の旗手たちの常套手段となって行く。ナンバーオペラに背を向けたワーグナーのロジックにも一脈通じるものがあろう。

ところが、ブラームスはこの手法に背を向ける。ごくごく1部の例外を除いて楽章の継ぎ目をブリッジで繋ぐことを一切していない。演奏者が楽章の間合いを意図的に短くすることはあるが、マストではないのだ。

この点ドヴォルザークとブラームスの考えが一致していると思われる。遺された作品の構造からそう推定出来る。

2010年7月 9日 (金)

ヨハネスブルク

アフリカ大陸初のワールドカップを開催中の南アフリカ共和国。決勝戦が行われる街だ。

欧州の地名末尾に付く「ブルク」は「burg」と綴られて、多くは「城砦」「城壁」を意味する。ブラームスの故郷ハンブルクもその仲間だ。

ブラームスのファーストネーム・ヨハネスの末尾にブルクを付けた地名は、ブラームス愛好家としては気になる。アフリカ大陸南端の共和国とブラームスに因縁があるとは思えないが、放置するのも気が引ける。

FIFAワールドカップ南アフリカ大会も大詰め。今回のワールドカップは随分テレビ中継を観た。これには理由がある。長男がとても興味を持ったことだ。前回の2006年ドイツ大会はまだ中学生だった。のめりこみはさほどでもなかった。テレビ観戦するにしても隣にツレがいるのといないのでは盛り上がりが違う。日本戦以外も楽しめた。

ワールドカップも残り2試合。

2010年7月 8日 (木)

mp espressivo

ブラームスにおいては、「mp」も「espressivo」もお宝度が高いというのが「ブラームスの辞書」の主張である。その融合体「mp espressivo」には下記の通り21箇所の用例がある。

  1. ホルン三重奏曲op40第1楽章166小節
  2. 交響曲第2番op73第1楽章477小節
  3. 交響曲第2番op73第1楽章482小節
  4. 2つのモテットop74-2 56小節
  5. 2つのモテットop74-2 57小節
  6. ヴァイオリンソナタ第1番op78第2楽章32小節
  7. 大学祝典序曲op80 138小節
  8. 大学祝典序曲op80 323小節
  9. 大学祝典序曲op80 324小節
  10. 悲劇的序曲op81 106小節
  11. 悲劇的序曲op81 302小節
  12. 悲劇的序曲op81 366小節
  13. 哀悼歌op82 132小節
  14. 哀悼歌op82 133小節
  15. ピアノ協奏曲第2番op83第1楽章48小節
  16. ピアノ協奏曲第2番op83第3楽章冒頭 名高いチェロのソロ。
  17. ピアノ三重奏曲第2番op87第3楽章62小節
  18. ピアノ三重奏曲第2番op87第3楽章64小節
  19. 交響曲第3番op90第1楽章47小節
  20. 交響曲第3番op90第1楽章156小節
  21. ピアノ三重奏曲第3番op101第4楽章191小節

おいしい場所ばかりという印象だ。ドヴォルザークでもおいしい箇所で使われてないかと調べていて、お宝を発見した。

弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」の第2楽章の冒頭に「mp molto espressivo」があった。単なる「mp espressivo」よりも「molto」一個分手厚いと解されようが、肝心のブラームスは一度も使っていない。お宝指数の高さをドヴォルザーク本人も自覚していたと考えたい。

2010年7月 7日 (水)

蘊蓄喫茶

喫茶店という言い方は今でもポピュラーなのだろうか。私の若い頃は頻繁に使われていたように思う。「サテン」と略することが多かった。女性との語らいではなくインベーダーゲームに夢中だった。

いわゆる喫茶店形態の飲食店は全国に何件あるのだろう。そのうち作曲家名を店名に据えたケースはどの程度を占めるのだろう。ブラームスという喫茶店を見たことはあるが、ランキングとしては高くない気がする。モーツアルトが一番で、バッハ、ショパンあたりがこれに次ぐようなイメージだ。

将来、会社を辞めた後、道楽で喫茶店の経営というのを夢見たことがある。どこにも行かずに一日中ブラームスを聴いていられるのが理想だ。実際の経営となるとこれがとても難しいとも聞く。まずは立地だ。よい立地なら賃借料は高額になる。初期投資もバカにならない。生活のためにとなるととても荷が重い。あくまでも道楽でなければならぬ。

けして狭くはないが極端に少ない座席数。ピアノがあるせいだ。しかも全席禁煙の上に携帯電話も使えない。立地はブラームス神社の大鳥居の脇だ。駐車場なんぞ備えていない。カウンターの中には「客を客とも思わないような仏頂面のマスター」(つまり私)が一人。週末になると娘等が手伝いに来る。メニューはといえばコーヒーがメイン。

<コーヒー>ブラームスの神社のお守りを提示すると割引がある。

  • クララブレンド 350円オーソドックスなオリジナルブレンド。
  • ロベルトブレンド 450円ストロングタイプ。ブラックがお好みの方へ。
  • ヨハネスブレンド 500円ウインナコーヒー。 
  • ユーリエブレンド 500円カフェオレ。
  • アガーテブレンド 500円アイスコーヒー。
  • ヨアヒムブレンド 500円カプチーノ。
  • ドヴォルザークブレンド 450円そりゃ当然アメリカン。

<スナック>

  • レバ団子のスープ 500円
  • レンズ豆のスープ 500円

<アイテム>

  • 蘊蓄 0円
  • スマイル 0円
  • 「ブラームスの辞書」 4300円

壁にはズラリとCDと楽譜。もちろんほとんどブラームス。バッハがポツリポツリと見える。BGMはほぼブラームス。これまたバッハが時折だ。最近ドヴォルザークも混じると噂になっている。客の求めに応じることはほとんどない。ブラームスの作品を弾いた客あるいは歌った客には出来映えによっては全品無償サービス。カラオケもある。当然ブラームスの歌曲だ。

これが「蘊蓄喫茶ブラームス」のコンセプトである。

2010年7月 6日 (火)

鬼門

ライプチヒという街は、ブラームスにとって鬼門だった。

ピアノ協奏曲第1番の初演がさんざんな失敗だったことは、よく知られている他、よその街で比較的好評だった作品がライプチヒでは冷淡な反応という例が少なからずある。

ライプチヒはバッハの街、世界最古のオーケストラがある街、メンデルスゾーンが愛した街で、ドイツ屈指の大出版社もある。何よりもクララの故郷だ。世間一般にもブラームス個人にも無視できる街ではない。ある意味で音楽の都だ。

トマス教会が、カントルの地位をオファーするまでこうした傾向は続いたと思われる。

ドヴォルザークにも鬼門があった。

それはボストンだ。レクイエムやアメリカ四重奏曲が手厳しく批判された。ニューヨークに活動の本拠をおくドヴォルザークは、ブーイングの対象だったのだろうか。ボストン市民にとってドヴォルザークもヤンキースも同列なのかもしれない。

2010年7月 5日 (月)

Lento

アメリカ四重奏曲の中で、とりわけ気に入っているのは第2楽章だ。ニ短調8分の6拍子で歌われるエレジー。ドヴォルザーク緩徐楽章の最高峰だと思っている。

その楽章冒頭の発想記号こそが、本日のお題「Lento」だ。ちょっとしたサプライズを形成する。ソナタの緩徐楽章が「Lento」になっているというのは珍しい。少なくともブラームスには例が無い。ベートーヴェンには一箇所、弦楽四重奏曲第16番ヘ長調の第3楽章「Lento assai, cantabile e tranquillo」だけだっと思う。

試験に出たら「ゆっくりと」と書けば罰点をくらうことはないが、「Adagio」との違いを50文字以内で述べよとでも問われたら、難易度が半端でなく高まる。ブラームスはソナタの緩徐楽章においては「Lento」を用いていない。おそらく区別していたと感じる。

ドヴォルザークは無視し得ぬ数の「Lento」を使っているが、ソナタの緩徐楽章では、おそらくこのアメリカ四重奏と最後の弦楽四重奏曲第14番変イ長調のみだ。

何だか味わいが深い。

2010年7月 4日 (日)

アメリカ

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番の通称だ。弦楽四重奏人気投票みたいなモンがあれば、上位進出の確率は非常に高いと思われる。1894年1月1日ボストンにて初演。ブログ「ブラームスの辞書」では元日はおバカなネタという流れが何となく決まっているのでなかなか言及しにくい。やむなく本日言及する。

アメリカ赴任後の作品で、アイオワ州スピルヴィルのチェコ人入植地での休暇中に、あっという間に作曲されたという。どんな解説を読んでもアメリカの要素てんこ盛りと説明されている。私もヴィオラ弾きの端くれとして、第1楽章冒頭の主題をいつも練習していた。ヴィオラ弾きドヴォルザークの本領発揮であることは間違いないのだが、さっそく行われた私的初演では、ドヴォルザーク自身が第一ヴァイオリンを弾いたというから、ヴァイオリンもかなりな腕前なのだと思う。

さて、音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品ドヴォルザーク」の138ページに興味深い記述がある。ドヴォルザークがジムロックに対して新世界交響曲の出版を依頼した記事が載っている。この校訂をブラームスが引き受けたとされているが、同時にアメリカ四重奏曲と変ホ長調の弦楽五重奏曲、さらに3つの演奏会用序曲の出版も依頼しているとある。ブラームスが校訂を引き受けたのは新世界交響曲だけではなく、それら全部とも読めるニュアンスである。

もし本当ならアメリカ四重奏曲もブラームスの校訂ということになる。ドキドキのネタだが、どちらともとれるような曖昧な記述は、出来れば避けて欲しい。

2010年7月 3日 (土)

インディアンラメント

「ヴァイオリンとピアノのためのソナティーナ」op100の第2楽章の異名。音楽用語「ラメントーソ」と関係があるのだろう。「インディアンの嘆き」などとも呼ばれている。クライスラーの編曲など古来独立して取り上げられることも多かった。ミネハハの滝を観て思い浮かんだとされている。

「Larghetto」と書かれたト短調4分の2拍子の旋律は、まさにドヴォルザーク節である。ずっと前から気付いていたが、その立ち上がりのダイナミクスが最近話題の「mp」になっていた。作品の成立は1893年だから、「mp1880年起源説」に矛盾しない。

ああよかった。

2010年7月 2日 (金)

ソナティーナ

ソナティーナト長調op100(B138)は、ヴァイオリンとピアノのためのささやかな二重奏曲だ。ドヴォルザーク渡米後の1893年に作曲された。

15歳になった三女オティーリエ、10歳になった次男アントニンのための作曲したという。ヴァイオリンの習得過程にある子供への暖かなまなざしに溢れた作品だが、古典的な形式は、かたくなに守られている。子供向けなのに、いや子供向けだからこそ、形式面で妥協せぬ律儀なドヴォルザークである。

ドヴォルザークもこの時期になると、その扱われ方はまさに巨匠だ。若い頃に見られた作品番号の錯乱は最早観察できない。作品番号と実際の作曲順が符合するようになる。そしてドヴォルザーク本人がop100を区切りと考え、何か相応しい作品をと欲して作ったのが「ソナティーナ」である。

2010年7月 1日 (木)

弦楽器奏者ドヴォルザーク

ドヴォルザークの伝記を読むと、彼がいろいろな楽器を演奏出来たことが判る。ピアノ、オルガン、ヴァイオリン、ヴィオラだ。少なくともこれらの楽器は人前で演奏したことが確実だ。

ブラームスのピアノの腕前は、実際に演奏を聴いた人々の証言が数多く残っている。少年時代から周囲を驚かせてきたし、ピアノ協奏曲2曲を始め自作は自分で演奏出来た。それだけを考えても相当なモンだと推定出来る。一方で、リスト、タウジヒ、ダルベール、タールベルク、クララなど当代一級のヴィルトゥオーゾと比べるとテクニック面で後塵を拝したとも伝えられている。50代に入ると自作以外は人前で弾かなかったから、問題が表面化しなかったとも言われている。1870年代中盤40代の時でさえウィーンでは、「優秀な作曲家だが凡庸なピアニストで指揮者としてはその中間」などと評されていた。

当然の疑問がある。

ドヴォルザークはどうなっているのだろう。ピアノで申せばコンチェルトは無理でも室内楽なら大抵弾けるレベルだったらしい。ピアノ入り室内楽の初演はしばしば自分でピアノを弾いている。

少年時代から親しんだという意味ではドヴォルザークの本拠地は弦楽器である。最初に習ったのはヴァイオリンで、のちにヴィオラに転向した。アメリカ四重奏曲の私的な初演では、第1ヴァイオリンを弾いたし、スメタナの弦楽四重奏「我が生涯」の私的初演でも、ヴィオラを弾いた。コンチェルトは無理ながら室内楽なら、ほぼ弾きこなしたと思っていい。

ヨアヒム、クライスラー、サラサーテという巨匠たちの後塵を拝していたことは確実だが、気にすることはない。作曲では誰の後塵も拝していない。

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
無料ブログはココログ