リピート記号
楽曲の一部または全部を繰り返すための記号だ。むかしむかし、貴族の娯楽として音楽作品が量産されていた時代、出来るだけ長く演奏を持たせるためにリピート記号を挿入したらしい。ディヴェルティメントに見られるリピート記号がそれだ。雇い主様の求めに応じて演奏時間をいかようにも調整出来るようにという魂胆も見え隠れする。
ソナタ形式の楽曲の中にもしばしば出現する。その場合大抵は、いわゆる「提示部」という箇所を繰り返すような設定になっている。展開部に突入する前に念押しをするような格好だ。時間稼ぎの目的はブラームスの時代には薄れて来ようが、意識の片隅にはあったと思う。また舞曲楽章の中に現れるリピート記号は、トリオを経た後の再現では省略される。
話はソナタに戻る。ソナタ形式の楽曲全てに存在する訳でもないところが悩ましくもある。2006年1月4日の記事「提示部のリピート記号」でも言及した通りである。提示部の最後にリピート記号を置くかどうかの基準はさっぱり判らぬままである。
さらに厄介な問題もある。置く置かないの基準が曖昧なことは作曲家の判断に属する問題だから諦めるとして、れっきとして書かれているリピート記号を実際に演奏するしないの基準はどうなっているのだろう。
私がクラシック音楽に目覚めた頃、レコードに収録された演奏ではソナタ形式の提示部末尾のリピート記号は省略されるのが普通だった。リピートを省略しない演奏があると、解説文の中で特記されていた。それほど省略が当たり前だった。
作曲家は演奏されることが前提でリピート記号を書いていると思う。ブラームスもそうだろう。それどころか通常あるはずの位置にリピート記号を置かないで聴き手を欺くこともあった。第4交響曲やピアノ四重奏曲第1番がその例だ。そうした細工はリピート記号が守られることを前提にした仕掛けだから、リピート記号の省略が習慣化してしまうと効果が減じられてしまう。
問題はそうした省略の慣習がいつ始まったかだ。断言は慎みたいが、LPレコードの収容時間に関連した業界の都合だった可能性を疑いたい。最近リピート有りの演奏が増えたのはCDの普及と関連があるような気がする。
ディヴェルティメントじゃあるまいに、およそソナタに関する限りブラームスは自分の書いた音符がリピート記号も含めて必ず再現されると考えていたと思う。「提示部の末尾に必ず置かれる飾り」という程度の認識だったら、ソナタ形式の楽章全てにリピート記号を置いたはずである。現実にはリピート記号の有無が混交しているから、リピート記号に積極的な意味を認めざるを得ない。
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