左富士
旧東海道の名所。広重の東海道五十三次の吉原では、京都に上る旅人の進行方向左手に富士が描かれる。東海道を京に上る場合、霊峰富士の姿は旅人の右手にあるというのが常識だ。ところが、富士川の氾濫対策のため東海道の道筋が少々迂回させられたために、この近辺でのみ富士が左手に見えるというカラクリである。その珍しさにより名勝となってしまったということだ。
似た話は、東海道新幹線でも味わえる。新大阪から東京に向かうとしよう。静岡・安倍川鉄橋付近で、富士山が進行方向右側に見える。新幹線上りの乗客が富士山を堪能しようと思ったら、進行方向左が上席だ。座席番号で言えば「E」がベストだ。同じ窓側でも「A」になってしまうとガッカリである。ところが静岡・安倍川付近で思いがけなく富士山が拝めるのだから有り難みは大きい。
富士山そのものは微動だにしない。当たり前の話だ。街道や鉄路の微妙なコース取りで見え方が変わり、名勝になってしまうということだ。
一方私が幼い頃過ごした千葉から東京に向かうには、鉄道のルートが5つある。JR総武線、京成本線、東京メトロ東西線、JR総武快速線、JR京葉線だ。房総半島西岸を東京目指して走る場合、富士山は左手だ。ところが、東京湾の最深部船橋市付近を過ぎる頃、線路が大きく左にカーブすると、富士山が右手に見える。総武線では小岩駅付近、東京メトロ東西線では西船橋を出てすぐ、京葉線では二俣新町を出てすぐだ。その後しばらく富士が右手に見えるという訳だ。
富士をブラームス作品に置き換える。楽譜として残されたブラームスの作品は変わらない。それに対するアプローチが変わる。演奏や解釈が変わる、あるいは聴き手の感性が変わる。これにより作品の聞こえ方が変わるということだ。
ブログ「ブラームスの辞書」は、ブラームス作品への新たなアプローチのツールとして存在したいと願う。思いがけないところに「左富士」が見たいのだ。既に名高い「東海道の左富士」ではなく、「総武線の左富士」あたりが理想である。
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