仏の顔も三度まで
どんなに聖人君子でも大目に見てくれるのは3度までだというほどの意味か。「図に乗るんじゃねえぞ」というニュアンスを濃厚に含む。だから野球ではボール4球で1塁に行けるようになっているのかどうか定かではない。
ブログ「ブラームスの辞書」では開設からの記事が1685本、1833本、1841本に達した時に、それぞれ「バッハの日」「ブラームスの日」「ドヴォルザークの日」と称して彼らの生年にちなんで勝手に喜んできた。
この記事はブログ開設以来1960本目の記事だ。つまり管理人である私の生年に因むということになる。バッハ、ブラームス、ドヴォルザークの3人の後に私が続くようでは、「仏の顔も三度まで」と言われてしまうというのが本日のオチである。
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<魔女見習い様
おお、鋭い。3度と同じくらい6度も好きなので、大目に見てくれる幅も広そうです。
投稿: アルトのパパ | 2010年8月24日 (火) 17時15分
ブラームスも4度よりは3度の方がお好みですしね
投稿: 魔女見習い | 2010年8月24日 (火) 16時16分
<田中文人様
寒い駄洒落を連発するので夏には喜ばれています。
投稿: アルトのパパ | 2010年8月24日 (火) 16時02分
「仏の顔も三度まで」と野球の四球には、そんな深い繋がりがあったとは(笑)。
お会いした事はありませんが、シニカルなユーモアを好まれる方なのでしょうか(笑)?
投稿: 田中文人 | 2010年8月24日 (火) 07時23分