友情
ブラームスが世に出るにあたりシューマンの功績が大であったことは良く知られている。23歳年下のブラームスにとってシューマンは恩師という表現がふさわしい存在だったと思う。
ドヴォルザークの立身出世においてブラームスが果たした役割もこれに勝るとも劣らない。けれども恩師と生徒という感じよりは友人に近いものを感じる。ブラームスはシューマンの助力もあって、順調に音楽界での地位を上げていった。1862年29歳で決意したウィーン進出もうまくいった。オーストリア帝国の首都での音楽的な地位の向上により、国家奨学金の審査員となった。ブラームス41歳だ。このときドヴォルザークはプラハで雌伏の時を過ごしていた。ブラームスとドヴォルザークの違いは、決定的な出会いが何歳の時に訪れたかだけであるような気がする。
早くに出世したブラームスが運良く審査する側に回り、後を追ったドヴォルザークが審査に応募したに過ぎない。2人は師弟ではない。ドヴォルザークの側はブラームスに恩義を感じていたとは思うが、ブラームスはドヴォルザークを助言が必要な後輩とは思っていなかったと感じる。
才能に相応しい光をあてただけだ。
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<田中文人様
ありがとうございます。然るべきタイミングで、相応しい光が当てられるのは貴重なことなのだと思います。
投稿: アルトのパパ | 2010年8月23日 (月) 18時46分
最後の一言が素晴らしいです。
投稿: 田中文人 | 2010年8月23日 (月) 05時19分