後天性育児日記
9月20日の記事「個人総合」を書くために人名を掲げたカテゴリーを再点検していた。我が家の子供たち3人は、かなりの頻度で言及されていることがよくわかった。子供たちのカテゴリーをクリックしてそこに堆積した記事を改めて読んでみると、さながら育児日記のようだった。
子供の成長をブログのテーマにしているケースは少なくない。一つの有力なジャンルになっている気がする。けれどもブログ「ブラームスの辞書」開設の意図は、全く違うところにあった。あくまでも書籍「ブラームスの辞書」の宣伝だ。マーケティングの一環でさえあった。子供たちの話題は、それがブラームスの話にこじつけ可能な場合のみ言及するにとどめていた。ところが根っからの親バカのせいで、子供たちの成長の節目ではブラームスに関係ない記事も、言い訳とともに発信するのがお約束になった。
そして昨年末のカテゴリー改訂で、子供らにそれぞれカテゴリーを付与したために、その全貌がよりはっきりと浮かび上がる結果となった。
子供らの記事を古い順にたどると、それが今や図らずも事実上の育児日記という状態になっていた。意図せざる育児日記、つまり後天性育児日記だ。私と子供たちそれぞれの距離がパラレルに反映した克明な記録になっている。2033年5月7日まで続けたら、貴重な記録になると思う。
本日のこの記事はブログ開設以来1992本目の記事だ。長男の生年を刻印するためでもある。
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