私の顔も三度まで
「仏の顔も三度まで」とよく見比べて欲しい。「仏」という漢字の部首「にんべん」を「のぎへん」にするだけで「私の顔も三度まで」に早変わりである。
1960本目の記事を私の生年に因むといってはしゃいだ日の記事が「仏の顔も三度まで」だった。バッハ、ブラームス、ドヴォルザークの生年に因む記事に次ぐ4回目が私では決まりが悪いと自覚している。
ところが3日前と2日前に長男長女の生年に因むといって1992本目と1993本目の記事でまた一騒ぎしてしまった。当然本日の記事は次女の生年1995に因む1995本目の記事だ。ちっとも反省していない。記事の本数を稼ぐのに必死である。
けれども今度こそこれが最後である。間もなく記事の本数が2010本を越えてしまうと生年に因むというノリでは記事にならなくなるからだ。
つまりそれが「私の顔も三度まで」ということである。
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