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2010年9月 2日 (木)

アメリカ国民楽派

「国民楽派」の定義なんぞ、私の手には余る。だから「アメリカ国民楽派」にもそれなりの危うさがついて回る。ドヴォルザークをアメリカに招いたジャネット・サーバー夫人の意図の一つが「アメリカ国民楽派」の創設にあったとも言われている。

当時既に新大陸アメリカは、クラシック音楽業界でも一大勢力を誇っていた。ところがそれを担ったのは欧州出身の音楽家たちであった。なかんずくドイツを本家とする勢力がその主流になっていたという。

サーバー夫人の思いはそのあたりにあった。アメリカに根ざした音楽の潮流を確固たるものにしたいと欲したのだ。ドヴォルザークにもその志が伝えられていたことは間違いない。アメリカ時代に生み出された作品が大きな人気を獲得していることは事実だが、ドヴォルザーク本人はことある毎に「アメリカの旋律をそのまま用いたことはない」と言い切っていた。ドヴォルザーク自身が「アメリカ国民楽派」の祖であると位置づけられてはいないし、その後「アメリカ国民楽派」が形成されたと言う記述にお目にかかったこともない。

ドヴォルザークは米国にあっても旺盛な創作力を示したが、アメリカの文物に触れてという側面と同等かそれ以上に「故郷恋しさ」が意欲の源泉になっていた。アメリカが着想のキッカケになることはあっても、推進力を生み出すのは故郷だったと見たい。プラハ、ネラホセヴェスあるいはヴィソカーへの郷愁だ。

アメリカ国民楽派とは、ドヴォルザークがチェコに感じた郷愁をアメリカ国内のどこかに感じる音楽家の出現を待たねばならないのだと思う。ドヴォルザークが少数民族の音楽に耳を傾けるようしきりに説いていたことはこのことなのだと感じる。だからブラームスはもちろん仮にバッハやベートーヴェンを連れて来たとしても、簡単に作れるものではないということだ。

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