火を通す
人類は古来「飢え」と戦ってきた。狩猟&採集の生活は飢えとの直面というロシアンルーレットだったに違いない。定住&栽培がこれにとって代わる。上手くいって当座必要な量を超える収穫があれば、交易に回したり出来た。さらに余裕があれば、すなわちそれが備蓄になり、やがてこれが富にも繋がったものと考えられる。
一方、動物たちには無いテクを身につけた人類は、生では食用に適さない物に手を加えることで食糧化することを覚えた。不可食部分の可食化だ。
その極めつけは「火」だ。生では食べられぬものが、火を通すことで食べられるようになる。そればかりか、おいしくなったり、食べやすくなったりするのだ。さらに直火の他に水を介在させることで応用範囲が格段に広がった。
「火を通す」ことは食べられるように加工することだ。
ブログ記事もつくづく同じだと感じる。1年間続けたドヴォルザークネタだが、思いつくままに公開した訳ではない。先に百数十本思いついてから、公開に踏み切った。思いついた順だと、記事の「生煮え」を排除出来ない。先に記事を思いついてから順序を考えて公開することで、やわらかくなったりおいしくなったりするのだ。2008年9月に立ち上げることも出来た「ドヴォルザーク特集」を、1年延期したのは我ながら英断だった。
1年間火を通したということだ。
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