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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2010年10月31日 (日)

テロワール

フランス語。本来は「土壌」の意味だが、転じて「ブドウ畑の全体的環境」を指す。気候、土壌、傾斜度、日当たり、風当たりなどを総合的に含むニュアンス。ワインの原料ブドウはこれらの条件が複雑に作用した結果である。ドイツで申せば概ね以下の通りだ。

  1. 緯度 北緯50度近辺
  2. 標高 50mから400m。
  3. 土壌 ローム、石灰岩、粘板岩、砂岩、花崗岩など。
  4. 気候 湿気がちで冷涼 7月の平均気温19度C。年平均降水量500mm~900mm。
  5. 諸注意 春:遅霜、秋:長雨

「土壌」について捕捉を少々。ブドウたちの栄養は土中の有機成分とミネラルだ。「窒素・リン酸・カリ」という三要素を習った記憶もある。これがキッチリ揃っていると肥沃な土地ということなのだろうが、ワインの原料ブドウにとっては今ひとつだ。葉が茂りすぎてしまってよくないといわれている。土壌が肥沃でないことがブドウの木を必死にさせる。その成果が果実に凝縮されるということだ。

ブドウの栽培にとっては土壌の成分よりも「水はけ」の方が大切らしい。余剰水分の滞留が良くないということだ。つまり土壌の保水性が高すぎるとダメらしい。石ころや砂地を好むというのはそういうことだ。さらにその土地が傾斜していればなおのこと水はけがよろしい。

2010年10月30日 (土)

発泡ワイン

何と言ってもシャンパンだ。フランスはシャンパーニュ地方で作られる。現在のフランスの法律では、原料のブドウや原産地が厳格に規定されている。昨日の記事でミラー・ツー・アイヒホルツ邸でブラームスがシャンパンでもてなされたと書いた。とびっきりのシャンパンだったのだろうと思う。

シャンパンの製造工程は途中まではワインと同じである。母体となるワイン作った後、酵母や糖分が加えられ2次発酵させることで泡の元である炭酸ガスが発生する。

発泡ワインはドイツにもあってゼクトと呼ばれている。シュロス・ヨハニスベルクをオーストリア皇帝から下賜されたメッテルニッヒ侯爵家は、ドイツ最大のゼクトの醸造家でもあった。

そう米国の野球界では間もなくワールドチャンピョンが決まる。祝勝会の騒ぎのことを「シャンパンファイト」と呼ぶ。ナポレオンの戦勝の儀式に由来するとも言われている。今年のシャンパンシャワーはサンフランシスコかテキサス。

さてさてさて。昨日我が家史上初の大事件があった。次女が中学の合唱際で指揮者を務めた。学級対抗の校内合唱コンクールの中で、3年生全体の合唱が1曲ある。「ふるさと」をアカペラで歌ったそうだ。このとき次女が指揮をした。私は仕事で聴きに行けなかったが、母はキッチリと聴き届けた。

本日の記事は次女の指揮者デビューを記念する「読むシャンパンファイト」である。

2010年10月29日 (金)

マディラの白ワイン

ヴィクトール・ミラー・ツー・アイヒホルツの家にドヴォルザークを連れて行こうとしたことは既に述べた。ブラームスはたびたび訪れて手厚くもてなされているが、ここの奥方が几帳面な人で、ブラームスに振舞った料理を記録していた。ある日の献立の中にワインが出てくる。

  1. 生ハムのマディラ島産白ワイン煮
  2. シャンパン

生ハムなんだからわざわざ煮ないで生で食べたほうがいいという突っ込みはともかく、単に「白ワイン煮」とせずに、わざわざ「マディラ島産」と特筆しているところにこだわりを感じる。スペインのシェリー酒と同じ酒精強化ワインで、おそらく品種はヴァルディーリョ。マディラは大西洋に浮かぶ島で、大航海時代には戦略上の重要な拠点だった関係で、ポルトガル領だ。名の通った産地でおそらくは凡庸なワインではあるまい。ワイン煮なんぞにしないでそのまま飲んだほうがいい。ワインもハムももったいない。

当日のお酒はシャンパンだ。こちらは言わずと知れたフランス産発泡ワイン。シャンパンは本来「フランスシャンパーニュ地方で作られたワイン」の意味。首都パリの東方一帯、フランスのワイン産地としては北の方に位置する。ゲーテも「奴らのワインだけは悪くない」と登場人物に語らせている。

銘柄など記載が無いのでこれ以上は推測できないのが残念だ。

2010年10月28日 (木)

アイスヴァイン

「Eiswein」で「氷のワイン」だ。意に反して冷え込みが早くやってきて、摘み取り前のブドウが凍りついてしまった。凍ったブドウでワインを作ったらおいしかったという偶然がアイスワインの起源とされている。記録に残る最古のアイスワインは1842年のモーゼルだという。現在では超一流の畑が意図的にアイスワインを狙って作るらしい。シュペトレーゼやアウスレーゼならとっくに摘み取ってしまってそこそこの収入になるところ、意図的に遅らせるのだから半ばギャンブルである。カビネットにしておけば1000本採れるところアイスワインになると200本を切ることもあるという。もちろんうまくいった場合には当然高値で取引される。

気温がマイナス8度くらいに下がるのを待って明け方に収穫する。氷には水分だけがとりこまれエッセンスは残されるからそこを圧搾して掬い取るという発想だ。

またワインの出来を示すヴィンテージチャートはアイスワインだけ別に作られる。通常ワインの出来が良かった年に、都合よく冷え込んでくれるとは限らないのだ。19世紀でアイスワインが出来たと記録されているのは1875年、1880年、1890年とされている。ヴィンテージとして19世紀後半では最高と評される1893年にはアイスワインは出来なかったという可能性が高い。

ビルロート未亡人が1897年にブラームスをもてなしたワインがアイスワインだとするなら1875年か1880年か1890年しかあり得ない。

2010年10月27日 (水)

シュトラウス

ブラームスラブを隠さない我がブログで「シュトラウス」などというタイトルの記事があれば、ブラームスが「美しく青きドナウ」を「遺憾ながらヨハネス・ブラームスの作品に非ず」とサインした話か、第4交響曲の初演におけるトライアングル奏者の話かと思われかねない。ワイン特集真っ只中の今、そのオチではいささか芸が無い。

ドイツやオーストリアでは、その年に収穫したワインが出来上がると居酒屋の軒先に、杉や樅の枝が吊り下げられる。まさにその時吊り下げられる枝のことを「シュトラウス」と呼んでいる。そういう店あるいは風習のことを「Strauswirtschaft」という。「Strauss」には「花束」という意味もあるから、そちらからの転用だ。この風習の起源はどうやらカール大帝に遡るらしい。彼は戦も得意だったが、内政にも才能を示した。ワインの商業的価値を利用しキッチリ税金をかける一方で、ワイン農民の保護を打ち出した。優秀な醸造家には、特権を与えた。決められた量を宮廷に納品し、なお余剰ワインがあった場合、新酒を4ヶ月の間、免税で直売出来るという措置だった。先ほどから話題の「シュトラウス」の飾りは、こうした特権を有する家であることを示すものだったというのだ。

南ドイツに行くと「Besenwirtschaft」になる。花環に代えて「ほうき」が吊るされるからだ。

晩秋のウィーンでブラームスが軒先のシュトラウスに誘われて居酒屋にしけこんだというような光景もあったに違いない。このとき「ヨハン・シュトラウス」と一緒だとなお盛り上がる。

そういえば私が新婚旅行で訪れた時だ。グリンツィンクへマーラーの墓参りの帰路、軒先にこの「シュトラウス」を見つけフラリを立ち寄ったことがあった。

2010年10月26日 (火)

ボトリティス・シネレア

「Botrytis cinerea」と綴るカビの一種。果実、野菜、マメ類に感染する。世界中に分布する。この菌に取り付かれたブドウは果皮を破られ水分が抜ける。結果として糖度、酸度、粘度が上がり独特の芳香を持つにいたる。こうしたブドウから作られるのが「貴腐ワイン」だ。伝令が追いはぎに襲われたために摘果が遅れたことで出来上がったのは実は貴腐ワインだったのだ。ドイツのライン地区とモーゼル地区は貴腐ワインの世界三大産地の一つだ。残り2つはフランスとハンガリーにある。

生食用の普通のブドウがこれに感染すれば大損害になるという。さらには赤ワイン用のブドウに付着してもガッカリだそうだ。白ワイン用の高級ブドウにタイミングよく付着することが肝要だ。その干からびた外見は「腐った」という形容が相応しいらしい。そこから出来るワインの素晴らしさとの落差が「貴腐」という言葉に込められている。ドイツのワイン格付けの最高位「トロッケン・ベーレン・アウスレーゼ」は、ほぼ貴腐ワインとイコールだ。貴腐菌ポトリティス・シネレアの力を借りない限り、要求を満たす糖度に達することは不可能と言われている。

首尾よく感染するかどうかは運次第だという。一般の作柄は上々でも菌の付きが悪い年なんぞいくらでもあるからだ。貴腐菌もカビのなかまである以上適度な温度と湿気を好む。高緯度の寒冷地ライン地方では、冬になるとグッと冷え込む。ライン川の水温の方が気温よりも高くなることで川霧が生じて谷間を満たすことになる。この川霧が貴腐菌にとって絶妙の湿気をもたらすという寸法だ。

晩年のブラームスを楽しませたワインは「芳醇なラインワイン」と形容されている。その上「カビネット」がお気に入りとされているから、「貴腐ワイン」だった可能性は低くないと感じる。

2010年10月25日 (月)

嘆きの年

ワインの品質が原料ブドウの出来に大きく依存していることは既に述べた。ブドウの品質が高かった年のワインはヴィンテージ物として珍重される。ワイン愛好家の楽しみである。

第二次世界大戦におけるドイツの人的損害は兵員の死者行方不明者500万人、負傷者400万人、民間人の死者50万人といわれている。戦後ドイツが領有権を失った地域からの帰還の途中で300万人が亡くなったという。日本の数字と比べるとその大きさがわかる。日本は兵員の死者120万人、負傷者460万人、民間の死者70万人だ。

兵員の多くは働き盛りの男性だ。このことがワインの生産にも深刻な打撃をもたらした。終戦の年1945年は原料ブドウの品質という点において、未曾有の当たり年だったという。ちゃんとワインを仕込んでいればヴィンテージ物のオンパレードとなっていたハズだ。ところがこの年、ワインを仕込もうにも働き手が足らず、仕込が出来なかったというのだ。機械化されていない場合、1ヘクタールのブドウ園での収穫には1日20人の摘み手が要るらしい。畑に勾配がついているとさらに人手が要るという。目の前に良質の原料ブドウがたわわに実っていながらワインに出来ないというつらい状況が生まれたということだ。

この年1945年をワインの愛好家は「嘆きの年」と呼んでいる。

2010年10月24日 (日)

ワインのコレクション

ヴィンテージものの高級ワインはオークションで高値で落札されることも多い。飲用はもちろんだが、それがコレクションの対象になっているからだ。大切な客人をとっておきのワインでもてなすのは最高のステイタスでさえある。まさにそのためにコレクションをしている向きは多い。一方ワインの品質は抜きにして何らかの記念のために集めるという人たちもいる。飲み物というよりも骨董品である

骨董品としての価値は別として、あくまでも飲み物として見た場合、一般に不出来の年のワインほど早く飲まれるという傾向があるようだ。良い品質のワインは時間の経過により味わいが深まるからだと説明されている。良い品質のワインは上手に保存すれば20~30年は飲用に耐えるらしいし、本当に完璧な状態で保存できれば50年100年という保存にも耐えるという。自分の還暦を誕生年のヴィンテージで祝うという贅沢も十分現実味がある。

となるとビルロート未亡人が1897年にブラームスをもてなした時、もっとも近い優良年1893年物だったかどうか怪しくなる。当時のしきたりによれば「カビネット」は、それ相応のレベル以上のワインにしか名乗れなかったから、「シュタインベルクのカビネット」を5年待たずに飲んでは台無しという訳だ。20年でやっと飲み頃という向きもある。一つ前の優良年1869年物だったとしてもさしたる驚きは無い。1880年のアイスワインという可能性もある。

2010年10月23日 (土)

ヴィンテージ

ワイン用語。原料ブドウの収穫年を指す。ワインの品質にもっとも影響があるのが原料ブドウの品質だ。原料ブドウの品質を左右するのが天候である。だから同じ畑の同じ品種のブドウを使っても、収穫年により出来映えが変わる。生産年をキーにしたワイン品質の優劣好悪が議論され、ひいてはそれが販売価格に敏感に反映することとなる。特にワインの当たり年のことをヴィンテージと呼ぶ場合もある。一般にドイツワインの当たり年は下記の通りとされている。これは超優良年だ。

  1. 1921年 モーゼルで始めてトロッケンベーレンアウスレーゼが出来た年。
  2. 1945年 嘆きの年。
  3. 1949年
  4. 1953年
  5. 1959年 原料ブドウの糖度312の最高記録が出た年。
  6. 1964年
  7. 1971年
  8. 1976年
  9. 1983年
  10. 1990年 先般買い求めた「Bernkasteler Doctor」はこのヴィンテージ。
  11. 1994年
  12. 2003年

10年で1~2回という頻度である。もちろんこれらはドイツ平均であり、各々の産地ごとに微妙な差もあるせいか、あくまでも目安とされているが奥もまた深い。20世紀のヴィンテージは意外と簡単に調べることが出来るが19世紀のヴィンテージともなると厄介だ。手許の複数の書物の記述から無理矢理割り出してみた。

  1. 1811年 シュタインベルガーが始めて「Cabinet」表示を使った年。この年の出来をゲーテが絶賛している。さらにもしかするとこのグレートヴィンテージはナポレオン占領下だった可能性がある。
  2. 1822年 
  3. 1831年
  4. 1834年 惜しい。
  5. 1846年
  6. 1847年
  7. 1857年
  8. 1858年
  9. 1861年
  10. 1865年
  11. 1869年
  12. 1893年 ビルロート夫人がブラームスをもてなしたのはこのヴィンテージかも。

18世紀以前の情報はさらに難しい。1745年と1455年が特筆されている程度だ。追いはぎに襲われた1775年に貴腐ワインが出来たことは確実だが作柄は不明だ。

2010年10月22日 (金)

ナポレオン高地

昨日の記事「論功行賞」で、シュロス・ヨハニスベルクにナポレオンが駐屯したと書いた。近隣にそうした痕跡が残っていないかと思い、いろいろ調べていたが思わぬネタにたどり着いた。

ドイツワインの心臓部たるラインガウの付近で、ライン川は約30kmにわたってほぼ東西に横たわる。これが川に面した南向きの斜面を形成することとなる。まさにそ中央にシュロス・ヨハニスベルクが存在する。

そのシュロス・ヨハニスベルクから南南東におよそ15km。ナポレオン高地という地名を発見した。ライン川の南側、ワイン産地で申せばラインヘッセンの中央だ。「Napoleonshohe」(oはウムラウト)と綴られる。巻末の索引には収載されていないが標高270mの高台だ。

ナポレオンがこの高台に立って対岸を眺めて、「朕はあの場所に行きたい」とでも側近に語っていたかどうかは知らぬが、少なくともナポレオンと無関係にこうした地名が発生するハズは無い。

2010年10月21日 (木)

論功行賞

手柄のあった者への褒美。昔の武士たちにとっては何よりの褒美は、新たな領地だった。負かした相手の土地を取り上げて部下に振舞うのが主君の腕の見せ所である。ここで処遇を誤ると将来の禍根となることもあった。鎌倉時代、元寇を退けた後、御家人たちに十分な恩賞を与えられなかったことが、鎌倉幕府滅亡の伏線だったと見る向きもある。相手から土地を取り上げられなかったのだから仕方がないのだが、必死に戦った側から見れば不満タラタラだろう。時代が下ると土地の代わりに官位や茶器でごまかすという巧妙な主君もいた。

昨日の記事「メッテルニヒ侯爵」で、オーストリア宰相メッテルニヒがシュロス・ヨハニスベルクのブドウ園を、オーストリア皇帝から与えられたと書いた。ナポレオン没落後の欧州秩序の形成に功績があったと認められたのだ。シュロス・ヨハニスベルクは元々オーストリア皇帝の所有だったわけではないから、誰かから取り上げて与えたということだ。

その「誰か」を調べていて驚いた。メッテルニヒの前の持ち主はナポレオンだったのだ。皇帝ナポレオンがラインを渡って駐屯したのがラインガウ。そして居館に選んだのが、シュロス・ヨハニスベルクだった。先住の修道士たちを追い出して居座った。その間ワインの生産がどうなったのか興味は尽きない。

ナポレオン没落後、ここをメッテルニヒ侯爵家に与えるのと引き換えに収量の10%をオーストリア王室に献ずるという条件付だった。10%の年貢は、当時のドイツにおいて率としては特段の高率ではなかったが、ワインの市場価値を考慮すれば、小麦やじゃがいもと同列に論じるのは不公平だ。売上の10%ではなく、生産量の10%の物納だったらしい。

2010年10月20日 (水)

メッテルニヒ侯爵

シュタインベルクの畑はエーバーバッハ修道院の所有だった。もう一方の主役シュロス・ヨハニスベルガーの領主こそが本日のお題メッテルニッヒ侯爵家だ。ナポレオン無き後の欧州の秩序再構築に貢献したオーストリア宰相メッテルニヒは、まさにこの家の出身だった。1773年生まれだからシュペトレーゼが考案されるわずか2年前である。

ナポレオン後の体制構築にあたり、シュロス・ヨハニスベルクのメッテルニヒ侯爵家は周辺の牧場もろとも葡萄園を安堵された。それと引き換えに毎年収量の10%をオーストリア皇帝に献上することが義務付けられた。第一次大戦後に経営危機に陥り所有者は代わったが、ウィーンでのドイツワインの評価を決定的に高めることとなった。

グルメなブラームスは、ウィーンで高級ドイツワインを賞味することが出来たと言うわけだ。

2010年10月19日 (火)

シュペトレーゼ

ワインの等級を示す言葉。法律で定められた「肩書き付きワイン」の等級名の一つ。「Spatlese」(aはウムラウト)と綴る。日本語では「遅摘み」と訳されるが、現行ドイツの規格では原料ブドウ果汁中の糖度が基準なので、必ずしも摘果時期が遅いとは限らない。

  1. アイスヴァイン
  2. トロッケンベーレンアウスレーゼ
  3. ベーレンアウスレーゼ
  4. アウスレーゼ
  5. シュペトレーゼ
  6. カビネット

1775年ラインガウはヨハニスベルグ葡萄園での出来事だ。当時葡萄の摘み取りは、領主の許可無しに実施することが出来なかった。領主の許可状を待って摘み取りにかかるしきたりだった。当時かの地の領主は現地には不在だった。直線距離で北東に150kmほど隔てたFuldaに住んでいた。いわゆる不在領主である。片道150kmを馬で往復するのに7日間かかったとされている。

その年許可状を携えた伝令が葡萄園に向かう途中追いはぎに襲われた。何も知らぬブドウ園は、待てど暮らせど原料の摘み取りにかかれない。ブドウが木にぶら下がったまま、最適時期を過ぎてゆくのを見守るだけだった。追いはぎの手を逃れてやっとこさ伝令が戻ったときには、せっかくのブドウが半ば干からびかけていた。そのままワイン造りを諦めるのもしのびなく、干からびかけたブドウでワインを造ってみると、案に相違して抜群の出来映えとなった。伝令の到着が遅れた分、ブドウの実から水分が抜け糖度が上がったというわけだ。これこそがシュペトレーゼ(遅摘み)の起源である。QmP等級5位のことではない。貴腐ワインの起源だ。

ドイツワイン独特の摘果法。一般にブドウは収穫が遅くなるほど糖度が上がる一方、酸度は下がってゆくと言われている。貴腐ワインは、カビの力を借りて酸を下げずに糖を上げるということに他ならない。ワインの品質は酸糖のバランスが大きく物を言うから、最適な収穫時期の決定は最重要事項だ。ヨハニスベルガーのこの発見はたちまちラインガウ全域、そしてドイツ全域に広まり、ドイツワインを欧州屈指の品質に押し上げたと言っても過言ではない。

ヨハニスベルグには、そのキッカケとなった伝令の像が建っているという。ドイツというのはなかなか几帳面で、この伝令くんの名前も年齢もわかっているらしい。万が一、追いはぎの像も並立していたら、座布団3枚に花丸を差し上げていたところだ。

2010年10月18日 (月)

奇跡のクランク

ライン川はスイス・ボーデン湖に発して北海に注ぐ大河だ。概ね北に流れる。ところがずっと下ってきて左岸にマインツを臨むあたりで西に向きを変える。北岸にはブラームスが第3交響曲を作曲したヴィースバーデンがある。そこからビンゲンで北に向きを変えるまでの約30kmの間、西または西南西に流れる。つまりこの間だけは東から西に流れるということだ。このクランクが、ドイツワインに奇跡をもたらした。

一昨日の記事「二大産地」で取り上げたシュタインベルクとヨハニスベルクは、どちらもラインガウに属する。2山5城とは実はこの大産地ラインガウ(Rheingau)の中の名門を総称する言い回しに過ぎない。ラインガウはライン川が東から西に流れるわずか30kmの部分の北岸丘陵地を指す呼び名だ。

東西に流れるライン川の北岸の丘陵地ということが立地として重要だ。川に面した南向きの斜面がいたるところにあるということだ。川からおよそ500m以内の畑ならば直射日光に加えて、水面に反射した光もアテに出来るという。おまけにこのあたりのライン川は周辺より川幅が広い。優秀なブドウを生み出す条件はまだある。土壌や川霧の発生なども見逃せない。霧は極端な低温からブドウを守る効果がある。そしてここでも地名は雄弁だ。地名語尾「ガウ」(gau)は、豊かな森と水を意味する。

もしこのクランクが無かったり、少々北にずれていたらと思うと背筋が寒くなる。クランクによりもたらされる約30kmの西流の間、ラインの北側の岸辺がほぼ北緯50度線と一致する奇跡も合わせて味わいたい。

2010年10月17日 (日)

北緯50度

日本付近で北緯50度線を探す。樺太の真ん中を横切っている線だとわかる。なんだかとても寒そうな感じだ。

一方ドイツワイン産地の大黒柱ラインガウのそのまた中核にシュロス・ヨハニスベルクがある。何とこのブドウ園を北緯50度線が通っているのだ。もっと北にもブドウ畑があるから恐れ入る。無論ドイツのワイン産地が例外だ。北緯50度を舐めてはいけない。欧州以外の地方では気候区分は冷帯になる。

ドイツ各産地の年間平均気温は9度から10度の間で、7月には19度を記録する。メキシコ湾海流と巨大な熱源ライン川のおかげである。夏至の前後には、白夜状態になり、けして強力とはいえないが日照が長く続く。

ドイツの畑がこの絶妙さの上にのっかっていることを味わいたい。世界でここだけの貴重な10万ヘクタールである。

2010年10月16日 (土)

二大産地

「2山5城」がラインガウの名門の総称だと10月10日に書いた。これを「5城2山」とはけして言わないらしい。なぜならこの7箇所の畑の中でも「2山」と称される「シュタインベルガー」と「ヨハニスベルガー」が図抜けた存在だからである。少なくとも19世紀においてこの2つが品質面から見た場合ドイツワインの二大産地だということなのだ。

シュロス・ヨハニスベルグはヴィースバーデンの西南西約20kmのライン北岸の丘陵地に1090年に建てられた。詩人ハイネはヨハニスベルクの賛美者だ。出来ることなら山ごと持ち歩きたいと謳った。

シュタインベルクを所有するエーバーバッハ修道院は1135年の創立で、ヴィースバーデンの西約15kmの丘陵地だ。神聖ローマ帝国皇帝オットー1世の手厚い保護を受けて繁栄した。ライン川水運を利用して遠く英国にまで輸出されたという。こちらにもブラームスの他に有名人のファンがいた。ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクである。

この両者が競い合ったことでドイツワインを品質面で牽引したというのがドイツワインの歴史でもある。少なくともブラームスの生きた19世紀においては、こと白ワインに関する限りドイツ最高であり、世界最高に推挙する愛飲家も少なくなかったという。

2010年10月15日 (金)

ヨハニスベルガー

10月10日の記事「2山5城」をもう一度よく見る。2かける5で10だから「2010年10月10日」の記事にしたという小細工はさておき、ビルロート未亡人がブラームスをもてなしたシュタインベルガーと並んで「2山」を形成しているのが「ヨハニスベルガー」だ。「Johannisberger」と綴る。

惜しい。ブラームスの名前ヨハネスと似ている。ヨハネスではなくてヨハニスだ。意味は「ヨハネの山」だ。周知の通り「ヨハネス」は「ヨハネ」のラテン語形だから両者の語源は一致する。一応「2山」の片方の当事者なのだが、厳密には「シュロス・ヨハニスベルガー」だ。ヨハニスベルガーにも館があったのだ。場所はライン川中流のヴィースバーデンの西南西約20kmのライン北岸だ。ドイツワインの大産地ラインガウの心臓部に位置する。

ビルロート未亡人が「ヨハニスベルガー」でブラームスをもてなしていたら、ブログ「ブラームスの辞書」的にはピッタリの展開だったのだが残念だ。

2010年10月14日 (木)

石の山

ブドウという植物はドイツという土地柄にとって願ったり叶ったりの性質を持つ。いくらドイツ人がワイン好きだといっても、あくまでも食糧が確保された上での話だ。主たるエネルギー源は穀物だ。主に小麦そしてじゃがいもだ。それらの生産がまず優先される。肥沃な土壌を持つ平地は、そのために提供される。だからブドウは小麦やじゃがいもが作付け出来ない土地へと追いやられるのだ。石ころだらけの荒れた土地、しかも下手をすれば斜面だ。ましてや北海道以上の高緯度なのだ。

ブドウとりわけドイツを代表するリースリンクは、冷涼な気候を望む上に、粘板岩、火成岩、石灰岩の土壌を好む。石ころだらけの土地でも元気に育つのだ。小麦やじゃがいもの耕作地とバッティングを起こさないことはとても重要だ。

そして斜面だ。北海道と同等かそれ以上の高緯度地帯だけに、太陽光線は浅い角度でしか当たらない。そうした角度の太陽光線を効率よく受けるには、平地よりも斜面が好ましい。作業の手間つまりコストはかかるが、それにより他に真似の出来ない品質が約束されれば、コスト高の吸収も夢ではない。

ラインガウきっての名産地シュタインベルガーは「シュタイン」プラス「ベルク」だ。つまり「石の山」である。文字通り石ころだらけの山だ。ブドウ栽培の適性がピッタリと地名に現れている。

2010年10月13日 (水)

小さな満足

本日のこの記事がブログ「ブラームスの辞書」開設以来2010本目の記事だ。これはささやかな目標への到達を意味する。2005年5月30日にブログを立ち上げた時、記事の本数が現在の西暦に追いつくのは2010年だと判っていた。ブログ開設から1963日目でめでたく達成となった。明日は2011本目だ。私が元気に記事を更新し続ける限り、しばらく逆転されることはない。

ワイン特集の合間にわざわざ割ってはいる程の喜びだというわけだが、今後誰かの生年に因むという切り口では記事が書けなくなる点注意が要る。

さてもう一つ小さな満足があった。行きつけのワインショップで以前から気になっていたワインをとうとう入手してしまった。ラベルには以下のように書かれている。

「Mosel-Saar-Ruwer」 モーゼル・ザール・ルーヴァーエリアの

「Berncasteler Doctor」 ベルンカステル地区 ドクトルというブドウ畑で

「1990」 1990年に

「Riesling Spatlese」 リースリンク種を遅摘みした

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20年前のワインだ。これが何故嬉しいかは後日また。

2010年10月12日 (火)

リースリンク

「Riesling」と綴られる。ドイツを代表する白ワイン用ブドウの品種名だ。単に作付面積や収量のことを指しているのではない。品質面から見たドイツ白ワインの大黒柱だと位置付け得る。

晩熟で耐寒性にすぐれ、石ころだらけの痩せた土地でも育つ。十分な日照と冷涼な気候という一見相矛盾する要求をする。無理矢理弱点を挙げるとすれば収量か。しかし収量が伸びないというのは、弱点ともいえない。ブドウは、収量が少ないほどワイン原料としての品質が上がるといわれているからだ。けれどもブドウ品種としてはやはり難しいと言われている。マメに手入れをしないと途端に品質に跳ね返るという。いわば「気難しい品種」だということだ。ドイツに限らず、フランスでもイタリアでも最上酒を生み出す品種は気難しいと相場が決まっているようだ。

「石ころだらけの痩せた土地でも育つ」という説明には注意が要る。「石ころだらけの痩せた土地を好む」という訳ではない。肥沃な土地においてもブドウは元気に育つ。人類の長きに渡るワイン醸造の知恵が、ブドウ栽培を石ころだらけの土地に順応させてきた。肥沃な土地に植えられたブドウは、葉が茂り過ぎるのだ。ワインの原料として見た場合、葉には何の意味もない。ワインの原料たるブドウの品質を上げるには葉はそこそこでよいのだ。意図的に痩せた土地に植えることで葉の生育を抑え、果実に栄養を集中させたということだ。さらに絶妙なことに貴腐菌との相性が良いとも言われている。

シュタインベルクを含むラインガウの第一級の畑はほぼ250年間リースリンクだけしか栽培していない畑がゴロゴロあるという。だからブラームスお気に入りの「シュタインベルクのカビネット」は、リースリンク種から作られたワインだと判る。

2010年10月11日 (月)

壁ワイン

「Mauerwein」の訳語。エーバーバッハ修道院のシュタインベルクの畑は厚い土塀で囲まれていた。文字通り土で作られた塀だ。現地の土を利用するので、土壌同様ブドウの栽培に適した培地になる。シュタインベルクの四方を囲んだ土塀のうち南面する壁面にブドウを這わせるとどうなるか。平地よりも角度がついている分だけ高緯度地の直射日光を吸収しやすくなる。昼間熱を吸収し、夜間はゆっくりそれを放出するという条件がブドウの生育を助けた。無論原料ブドウの量は微々たるものだが、品質が高くなる。お察しのとおり、こうした壁に這わせたブドウから得られるワインが「Mauerwein」と呼び珍重された。

今メジャーリーグでは、プレーオフが始まっている。昨日ミネソタツインズは、ニューヨークヤンキースに敗れて、アメリカンリーグチャンピョンシップへの出場を逃がした。現在メジャーリーグ最高の捕手は、そのミネソタツインズの背番号7だ。野球で捕手のことをしばしば壁という。彼の名前はジョー・マウアーである。職業としては左官を意味するが、彼マウアーのポジションが捕手なのは何だか出来過ぎである。

ブラームスのお好み「シュタインベルクのカビネット」が「マウアーワイン」だったかどうかは不明である。

2010年10月10日 (日)

2山5城

高級ワイン・カビネットの周辺について調べを進めている。

ワインの表示は地域名・村名・畑名が書かれるのが恒例だが、大産地ラインガウでは、あまりの品質の高さに、いきなり畑名だけの表示が認められているケースがあり、それらを「2山5城」と総称している。

  1. シュタインベルガー
  2. ヨハニスベルガー
  3. シュロス・エルツ
  4. シュロス・グレーネシュタイン
  5. シュロス・シェーンボーン
  6. シュロス・フォルラーツ
  7. シュロス・ラインハルツハウゼン

語尾のベルガーは「Berger」で「山」、「シュロス」は「Schloss」で「城」だ。「Burg」が「城砦」で「山城」のニュアンスなのに対して「シュロス」は「館」のイメージか。これはフランス語圏なら「シャトー」に相当する言葉だ。「2Berger5Schloss」が「2山5城」だ。ビューロー未亡人がブラームスをもてなしたシュタインベルガーは上記1番だ。

2010年10月 9日 (土)

カビネット考

ビルロート未亡人がシュタインベルク産のカビネットでブラームスをもてなしたことを調べている。カビネットの意味が1971年を境に変わっていることは既に述べた。CabinetからKabinettに変化したのだ。Cabinetという表現を最初に用いたのはシュタインベルクの畑を所有するエーバーバッハ修道院だったらしい。

ヨハニスベルクとラインガウ最高峰の位置を競っていたシュタインベルクだが、1775年に全くの偶然から「シュペトレーゼ」(遅摘み)を考案したヨハニスベルクに押され気味だった。1811年に転機が訪れた。空前の当たり年だったこの年の特上酒に「1811Steinberger Auslese Cabinet」と表示して発表したのだ。これが空前の評判となり、ラインガウ各醸造家がこぞってとりいれるところとなった。元々は修道士の居室を意味する言葉だ。修道院では市場に放出する他に、自家消費用にワインを貯蔵した。修道士たちの居室は窓さえふさぐと格好のケラーになったから、とっておきのワインをそこに保存した。ドイツ中のワイン醸造家にとって身に覚えのあるネーミングでもあったし、内閣の語源とも一致する優雅なネーミングゆえ、ラインガウにとどまらず全ドイツに瞬く間に浸透した。

1971年のワイン法では、「Crescenz」「Original」Natur」などの表現が軒並み使用禁止となる中で、「Cabinet」だけは、スペリングと意味を変えて存続を許された。肩書き付きワインQmPの最下級とはいえ、この言い回しがいかに浸透していたかを物語る。

ビルロート未亡人がブラームスをもてなした記事では、「シュタインベルク産のカビネット」とだけ書かれてた。まさにそれは「カビネット」の創始に関わる偉大な生産地のワインという点で、格別の意味がある言い回しなのだ。

2010年10月 8日 (金)

アラビアンナイト計画

初の年間企画「ドヴォルザーク」のフィナーレから1ヶ月たった。実は記事「ダブルアラビアンナイト」の翌日つまり一昨日そして昨日と既に新企画が立ち上がっている。ご覧の通り新たな企画は「ワイン」である。

この度ブログ「ブラームスの辞書」は、新たなミッションを得た。「ダブルアラビアンナイト」の記事を今一度ご覧いただきたい。創設からの記事本数2002本を祝うとともに、3003本目は2013年7月2日にやってくると書いた。最後に「遥かなる予告編」とも申し上げた。

我がブログ「ブラームスの辞書」に課せられた新たなミッションは下記の通り。

「トリプルアラビアンナイトまでの1000日間、切れ目なく企画を連ねよ」

2013年7月2日まで、切れ目無く企画を連ねることとする。つまりダブルアラビアンナイトからトリプルアラビアンナイトまでの間を企画で埋め尽くすということだ。各々の企画の長さは1年に満たないショート企画ばかりだが、今回ドヴォルザーク特集明けに設定したようなインターヴァルを挟むことなくこの先約1000日間アタッカで企画を放ち続ける。もちろん会期中には、テーマ外の記事を適宜挟むことは従来通りだが、緊張感は保ち続ける。自分のモチベーションのために先に宣言する次第である。

このミッションを「アラビアンナイト計画」と名付ける。

2010年10月 7日 (木)

2つのカビネット

昨日10月6日の記事「シュタインベルク」で没する2ヶ月前のブラームスが、ビルロート邸に招かれたエピソードに言及した。ビルロートは既に没していたから、ビルロート未亡人がブラームスをもてなしたのだ。

不審に思うことがある。そのエピソードよればブラームスは「シュタインベルク産のカビネット」がことのほかお気に入りだったとされている。ドイツ政府が定めたワインの格付け「QmP」におけるカビネットは、6等級中の最低ランクだ。少なくとも超高級ワインとは言い難い位置づけだ。欧州最高の外科医ビルロート未亡人は、亡き亭主の大親友で欧州楽壇の重鎮であるブラームスをカビネットでもてなしたのだろうか?出世をしても質素だったブラームスという解釈よいのだろうか?

ずっと不審に思っていた。

これには実に興味深いカラクリがあった。「QmP」の制定は1971年だった。それ以前「アウスレーゼ」「シュペトレーゼ」「ベーレンアウスレーゼ」等の称号は、地域や生産者で独自に付与されていた。基準も曖昧だったらしい。さらに当時「アウスレーゼ」や「シュペトレーゼ」に「カビネット」という言葉を併用する習慣もあった。「とっておき」くらいの意味だ。「アウスレーゼ」より「カビネットアウスレーゼ」のほうが高級とされたらしい。現在の格付けとしてのカビネットは「Kabinett」と綴られるが、当時のカビネットは「Cabinet」と綴る。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻202ページにはカタカナで「カビネット」と書かれているが、これは「QmP」制定以前のカビネットつまり「Cabinet」であるべきだ。オリジナルは「Cabinet」だったに決まっている。訳出にあたっては「カビネット」のカタカナが当てられるのも自然だ。しかしこれが「QmP」等級の最下級の「Kabinett」と紛らわしい。

ビルロート未亡人は「QmP」最下級のワインでもてなしたのではない。「最高級産地シュタインベルクのとっておきワイン」でもてなしたのだ。

謎が解けた。

2010年10月 6日 (水)

シュタインベルク

ドイツワインの代表的な産地ラインガウ屈指のブドウ畑の名前だ。

ドイツワインは厳格な序列があって、キチンとした表示が法律で義務付けられている。ラベルには下記のような情報が盛り込まれている。

  1. 地方名 たとえば「ラインガウ」「モーゼル」
  2. 村名 たとえば「ミュンスター」
  3. 畑名 
  4. ブドウの品種 「リースリンク」が代表的。他に「フクセルレーベ」や「シャルドネ」
  5. 生産者 
  6. 生産年
  7. 等級 カビネット、シュペトレーゼ、アウスレーゼ、ベーレンアウスレーゼなどなど。

判る人が見れば、これだけで大抵「フムフム」となるらしい。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻202ページでホイベルガーが証言するところによれば、1897年2月5日つまりブラームスが没する2ヶ月程前のエピソードとしてビルロート邸の食事の場面が出てくる。このときビルロート本人は既に亡くなっていたから、これは追悼の集まりだ。ビルロート邸のワインケラーにあったワインを賞味したとある。ブラームスのお気に入りは「シュタインベルクのカビネット」とされている。

シュタインベルクとは生産地ラインガウの中でも特に優良なブドウが採れる畑の名だ。その品質の高さゆえに、表示の際に村名の省略が許される畑のうちの一つだという。

カビネットとはQmP「肩書き付き高級ワイン」中の肩書きの一つ。ドイツワインは原料果汁の糖度により序列化されるが、その等級の一つだ。

2010年10月 5日 (火)

ダブルアラビアンナイト

物騒な王がいた。一夜をともにした妃を次々と殺害するというのだ。そんな中、召されたシェヘラザード姫は、王に面白い話を聞かせた。続きが聞きたい一心で彼女の殺害は延期に延期を重ね、遂に死を免れる。聞かせた話の数が1001本だというのがアラビアンナイト千夜一夜物語だ。

ブログ「ブラームスの辞書」は本日のこの記事でブログ開設以来積み重ねた記事が2002本となる。つまりそれがダブルアラビアンナイトの意味だ。不幸なお姫様を2度あるいは2人救ってやれる。

2008年1月8日の記事「シェヘラザード」で1001本目を祝ってから1000日、一日も記事の抜けがなかったおかげで本日2002本に到達した。めでたい。

3003本目のトリプルアラビアンナイトは2013年7月2日にやってくる。はるかなる予告編だ。

2010年10月 4日 (月)

引き分け以上

サッカーのリーグ戦終盤の争いの中で、「勝ちか引き分け」を条件に優勝が決まることがある。こうしたケースにおいてマスコミではしばしば「引き分け以上で」という表現をする。

さらに制度としての「引き分け」が存在する日本プロ野球においても登場する。規定による最終回表の攻撃が終わり、タイスコアだった場合、後攻めチームの「引き分け以上」が確定する。

4月20日の記事「火星探査」で、有人火星飛行とブラームス生誕200年までの記事継続を競わせたいと書いた。それがモチベーションになるという趣旨だ。今記事の備蓄を進めていて、その目標は定年退職までにゴールまでの備蓄を終えてしまうことである。もし計画通りに備蓄が進めば、2020年に定年を迎える頃米国との勝負で「引き分け以上」が確定する。

ブログの先付け公開機能を活用して、2033年5月7日まで毎日抜けがないよう公開を設定すればOKだ。米国が有人火星飛行に成功すれば引き分けで、失敗なら勝ちだ。私の身に万が一のことが起きても記事の公開は進むと言えば進むのだが、何だか面白くない。やはりその日を元気で迎えて祝賀記事を拝みたいものだ。

問題は「引き分け以上」を確定させるに必要な7000本以上の記事に目途が立っていないことだ。

2010年10月 3日 (日)

記事2000本

今日のこの記事で、ブログ「ブラームスの辞書」の記事が2000に到達した。

人は自分の人生の歩みの中に記念日を作る。喜怒哀楽が殊更大きかった日を選んで記憶にとどめる。それらの記念日を記憶しているだけであたかも人生を記憶しているかのごとく錯覚して満足している。

実は記憶されない日の方がウ~ンと多い。それどころか記念日の記憶でさえ曖昧だ。結婚記念日は覚えていても披露宴当日の朝食のメニュウなど覚えていない方が自然だ。特段のトピックスが無かった日は、次々と忘れ去られている。ある日突然「~年前の×月×日に何してた」と言われても言葉に詰まる。

ところがである。

ブログ「ブラームスの辞書」と歩んだ毎日は、全ての日が記事と紐付けされている。記事を読むことで当日の気持ちを少しは思い出すことが出来る。昔から私は日常のマーキングが好きだった。

  1. 15歳から28歳まで 自分の日記により日々の捕捉が可能。
  2. 31歳から41歳まで 長男の誕生から次女小学校入学まで育児日記により捕捉が出来る。
  3. 45歳から現在まで ブログ「ブラームスの辞書」により捕捉可能。

50年の人生の内28年が追跡可能だ。ブログ「ブラームスの辞書」をやめない限りこの数値はどんどん伸びて行く。

なかなかのモンだ。

2010年10月 2日 (土)

物差しで測ったよう

「物事の収まりがいいこと」くらいの意味だろう。キチンと寸法を測って目論見通りの仕上げにすることは、職人の世界では当たり前なのだ。

ブログの運営でもその手の仕切りを連発したいといつも考えている。

先般終わったばかりのドヴォルザーク特集は、2008年9月に立ち上げることも出来たが、諸事情を考慮して1年延期した。理由の一つに今日触れねばならない。

ブログ「ブラームスの辞書」の開設以来の記事が2000本に到達する日が明日2010年10月3日になることだ。ドヴォルザーク特集のあと1ヶ月間設定したインターバルに、物差しで測ったようにピタリと収まる。

2010年10月 1日 (金)

危機感を煽る

およそ出版物の内容について申すなら、「安心ですよ」と言うよりは「危ないですよ」と言った方が大きな売り上げをもたらす。オフィシャルな統計があるとも思えないが、経験的にそう感じる。

巧妙なマーケティングだと思う。人間の心理とはそういうものだ。危険情報の方が、自腹を切って買う決断をすることに繋がりやすい。おそらく著者、出版社は皆わかっているのだと思うが、表だって議論されない。

マスコミも含めて出版は商売だから、刊行物が売れることが肝要だ。だから一部では中身の信頼度はさておきとりあえず危機感を煽った方が手っ取り早いというポリシーも現われる。「安全保障」「環境問題」「食糧」「健康」など、店頭の書物を見るにつけそう感じる。さらに言うなら肝心なのは中身よりもむしろタイトルだとも感じる。あるいは電車の吊り広告に踊らせるキャッチコピー。

困った。

我が「ブラームスの辞書」は何ら危機感を煽っていない。著者である私の頭を「大丈夫かコイツ」と心配させる効果はあるかもしれないが、危機感とまでは言えまい。読者の側の差し迫った危機感を煽ることがコツなのだが、それが出来ていない。どうでもいい蘊蓄にとどまっている。

「ブラームスの音楽は身体に悪いから、聴き過ぎに注意しましょう」とやった方がマーケティング的には正解なのだと思う。

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