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2010年10月21日 (木)

論功行賞

手柄のあった者への褒美。昔の武士たちにとっては何よりの褒美は、新たな領地だった。負かした相手の土地を取り上げて部下に振舞うのが主君の腕の見せ所である。ここで処遇を誤ると将来の禍根となることもあった。鎌倉時代、元寇を退けた後、御家人たちに十分な恩賞を与えられなかったことが、鎌倉幕府滅亡の伏線だったと見る向きもある。相手から土地を取り上げられなかったのだから仕方がないのだが、必死に戦った側から見れば不満タラタラだろう。時代が下ると土地の代わりに官位や茶器でごまかすという巧妙な主君もいた。

昨日の記事「メッテルニヒ侯爵」で、オーストリア宰相メッテルニヒがシュロス・ヨハニスベルクのブドウ園を、オーストリア皇帝から与えられたと書いた。ナポレオン没落後の欧州秩序の形成に功績があったと認められたのだ。シュロス・ヨハニスベルクは元々オーストリア皇帝の所有だったわけではないから、誰かから取り上げて与えたということだ。

その「誰か」を調べていて驚いた。メッテルニヒの前の持ち主はナポレオンだったのだ。皇帝ナポレオンがラインを渡って駐屯したのがラインガウ。そして居館に選んだのが、シュロス・ヨハニスベルクだった。先住の修道士たちを追い出して居座った。その間ワインの生産がどうなったのか興味は尽きない。

ナポレオン没落後、ここをメッテルニヒ侯爵家に与えるのと引き換えに収量の10%をオーストリア王室に献ずるという条件付だった。10%の年貢は、当時のドイツにおいて率としては特段の高率ではなかったが、ワインの市場価値を考慮すれば、小麦やじゃがいもと同列に論じるのは不公平だ。売上の10%ではなく、生産量の10%の物納だったらしい。

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