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2010年12月 8日 (水)

マイニンゲンの貢献

11月4日の記事「都市対抗初演ダービー」でブラームスの大規模管弦楽曲の初シーズンにおける演奏状況を一覧にした。そのリスト自体が大変示唆に富んでいるという話は既に何度もしてきた。さらに理解を深めるための補助線を引く。

それは1881年10月17日だ。ブラームスはハンス・フォン・ビューローの紹介でマイニンゲン侯と知己を得る。侯爵の覚えめでたいブラームスは、マイニンゲンの宮廷管弦楽団の機能を自由に使ってもよいという特権を供与された。同楽団の指揮者だったビューローの功績はとても大きい。彼は同楽団を率いると瞬く間に、欧州屈指の水準に引き上げた功労者だ。

この時以降、ブラームスは夏の間に避暑地で完成した作品を、実際にオーケストラを鳴らしながら検証し、楽譜の細部を整えることが可能になった。ブラームス程の音楽家だから作曲の時点で完成形が頭の中で鳴っていることは確実だが、実際に音を出して確認出来ることのメリットは計り知れない。第一交響曲では、初演後にも楽譜の手直しがされていたと伝えられている。この手の手直しはつきものなのだと思うが、これ以降そうした手直しが、初演前に出来てしまうようになった。

初演の段階における作品の完成度が、格段に向上したことと思う。

加えてピアノ協奏曲第2番と第4交響曲においては、マイニンゲンの楽団を率いた初演ツアーの様相を呈する。この両者の最初のシーズンにおける演奏回数が群を抜いていることからもマイニンゲン宮廷楽団とビューローの貢献度は大である。

ピアノ協奏曲第2番と交響曲の3、4番において最初のシーズンの演奏地にマイニンゲンが出現するようになることは特筆すべき変化だ。

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