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2010年12月10日 (金)

蜜月の終焉

12月8日の記事「マイニンゲンの貢献」で「都市対抗初演ダービー」のリストに補助線を引いて欲しいと書いた。それは1881年10月ブラームスとマイニンゲン侯の対面から始まるマイニンゲン宮廷楽団の機能供与が、その後の大規模管弦楽作品の成立と受容に大きく影響しているという趣旨だった。

その時期以降の作品が、初演のシーズンで何回取り上げられたかを以下に記す。

  1. ピアノ協奏曲第2番 21回
  2. 交響曲第3番 15回
  3. 交響曲第4番 23回
  4. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 9回

初演が12月にずれこんだ第3交響曲が15回というのは致し方ない面もあるが、ほぼハローウィンには初演にこぎつけたピアノ協奏曲第2番と第4交響曲の20回超は凄まじい。この3曲の積極的な取り上げられ方の陰に、ビューローとマイニンゲン宮廷楽団の貢献があることは申すまでも無い。

だから上記4番目のヴァイオリンとチェロのための協奏曲の9回という激減ぶりが不審である。

これには切ない必然が横たわっている。第4交響曲の初演ツアー中にブラームスとビューローの間に揉め事が起きた。とりわけビューローの怒りは深く、あろうことかマイニンゲン宮廷楽団指揮者の辞任へと発展する。1886年のことだ。ヴァイオリンとチェロのための協奏曲が1887年11月に初演を迎えた時、ビューローは既にマイニンゲンの指揮者の地位に無かった。マイニンゲン宮廷楽団の機能供与は終わっていたのだ。

ヴァイオリンとチェロのための協奏曲が、ブラームス最後の管弦楽曲になってしまった原因の一つがこれかもしれない。

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