ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 蜜月の終焉 | トップページ | ブラームスの助言 »

2010年12月11日 (土)

Rシュトラウスはどうした

リヒャルト・シュトウスがそのキャリアの初期にハンス・フォン・ビューローに師事していたことはよく知られている。ビューローがマイニンゲン宮廷楽団の指揮者だった頃だ。この楽団にはブラームスがしばしば出入りしていた。それどころか第4交響曲の初演を任されている。

1885年10月25日の初演の日。Rシュトラウスがトライアングルを叩いていたと言われている。その後ブラームスとビューローは、マイニンゲン宮廷楽団を率いて欧州各地に赴いた。「都市対抗初演ダービー」のリストを見れば、それが事実上「ブラ4初演ツアー」だったことをうかがい知ることが出来よう。

その瞬間、ブラームスの第4交響曲を演奏できるオケは、世界中でマイニンゲンだけという夢のようなシチュエーションを引っさげての演奏旅行だ。

ささやかな疑問がある。

Rシュトラウスは、その演奏旅行に帯同したのだろうか?それとも初演での一回コッキリの出演だったのだろうか。あるいは3度あったマイニンゲンでの公演にのみ出演していのだろうか。

« 蜜月の終焉 | トップページ | ブラームスの助言 »

コメント

<田中文人様

大いに気になっております。
音楽史とまで振りかぶるのはいささか重荷ですが、1885年秋のRシュトラウスの単なるスケジュール管理の問題かと存じます。

R.シュトラウスの音楽史における立ち位置を考えると、確かに気になりますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Rシュトラウスはどうした:

« 蜜月の終焉 | トップページ | ブラームスの助言 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ