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2011年1月31日 (月)

シュピーナ

ウィーンの出版社。1月29日の記事「初版刊行ランキング」では、かろうじて6位タイに滑り込んでいる。作品27と28の2作の初版を刊行した。

その刊行があったのは1864年だ。

ブラームスは1862年にウィーンに進出した。本人の回想によればウィーン進出当初、ウィーンゆかりの作曲家シューベルトの楽譜をむさぼるように写譜したという。未出版の歌曲を中心とする膨大な楽譜を所有していたのが実は、本日の主役シュピーナ社だ。シューベルトの兄フェルディナンドとのつきあいがあったらしく、シューベルトの自筆譜を大量に蔵していた。

その後シューベルト全集の刊行にあたり、一部校訂を引き受けたのは、このときの写譜の経験が土台になっていたと思われる。

ブラームスの歌曲の作風はop19までを第1期、op32から第2期に区分するのが一般的だが、1862年のウィーン進出が境目となっている。もっと深く突っ込むならシューベルトとの濃厚な接触がキッカケになったと解したい。

1864年の2作op27とop28が、シュピーナ社から出されているのは、快く写譜をさせてくれた事に対するお礼ではないかと考えている。

2011年1月30日 (日)

ドイツ分室

1月24日の記事「日普修好通商条約」で、今年が日独交流150周年であると書いた。全面的に趣旨に賛同するとも書いた。そして今、ブログ「ブラームスの辞書」で展開中のアラビアンナイト計画のもう一つの目的に言及する時がきた。

アラビアンナイト計画は、ブログ通算2003本目の記事から3002本目の記事までの1000日間、企画を敷き詰めるという趣旨だ。実はその間に規制緩和がある。その1000日の間は、ブラームスに関係が無いドイツネタの発信を容認する。ドイツに深く関係があれば、ブラームスネタではなくてもOKとする。重要な規制緩和だけに、これを時限立法とすることで規律が緩むことに歯止めを掛けるということだ。

ブログ「ブラームスの辞書」は管理人のブラームスへの傾倒を記憶するツールだが、ブラームスへの理解をより立体的にするためにドイツや欧州の事情に通じることは必要だと思っている。「ドイツ分室」とはそうした角度から放つ記事を集約する目的がある。ブラームスに直接関係が無くてもドイツの理解促進のために役立つと判断した場合ここに収載されることになる。アラビアンナイト計画冒頭を飾った「ワイン」はその第一弾でもあった。今のところ2013年7月3日の会期末までに発信する企画のうち「ワイン」を含む11本がドイツ分室ネタだ。

ブラームスに関係が無い記事を無闇に増殖させないために、会期を1000日に区切った。この目的のためにカテゴリー「70 ドイツ分室」を新設し、関連カテゴリーを70番台に集約した。

2011年1月29日 (土)

初版刊行ランキング

1月27日の記事「初版出版社一覧表」で、ブラームス作品初版の刊行を手がけた出版社を一覧化し、今後の話題展開の基礎と位置づけた。そうなると次の話の展開は見えている。本日は初版の刊行を手がけた回数を出版社別にランキングする。集計の対象は作品番号付きの作品122作である。

  • 第1位 69作 ジムロック(ベルリン)
  • 第2位 19作 リーターヴィーダーマン(ヴィンタートゥール・スイス)
  • 第3位 13作 ジムロック(ボン)
  • 第3位 13作 ブライトコップフ(ライプチヒ)
  • 第5位  5作 ペータース(ライプチヒ)
  • 第6位  2作 シュピーナ(ウィーン)
  • 第6位  2作 ゼンフ(ライプチヒ)
  • 第8位  1作 クランツ(ウィーン)

以上作品数の合計はピタリと122になる。ベスト10にしたくても数が足りない。つまり作品番号のある作品の初版刊行を手がけたのは上記8社しかないのだ。案の定ジムロックの圧勝だ。ジムロック社はボンにいた時代とベルリンにいた時代ではブラームス作品に対する姿勢が違っているから2つに分けたが、これを合算すると82作に達する。67%実に3分の2がジムロックから刊行されているのだ。本日のランキングと27日の一覧表は、ジムロック絶対優位の事実を追認する強力な物証だ。

 

2011年1月28日 (金)

進捗管理

会社生活でよく遭遇する言葉。計画と実行は避けて通れぬ。実施状況が計画通りかどうか見張ることだ。計画からの逸脱をいち早く発見し、対策を講ずることも含まれる。

アラビアンナイト計画にもこの考えを取り入れる。今後アラビアンナイト計画の進捗状況をこの記事の上で捕捉することにする。状況に変化があるごとに、その日の記事からこの記事にリンクを貼る。

<01.ワイン>2010年10月6日に始まった。オープニング企画。アラビアンナイト計画のトップバッターである。44日の会期に42本の記事を発信し95.1%の高濃度として、名刺代わりと位置付けた。

<02.初演>ブラームス作品、とりわけ大管弦楽曲の初演と、初シーズンの演奏状況に注目した「都市対抗初演ダービー」を中核に、初演のあれこれを掘り下げた。ライプチヒにおける協奏曲の初演が、元日に集中することで2011年を迎えた。65日の会期に41本記事、濃度63.1%にとどまった。

<03.初版>ブラームス作品の初版を中心に。ジムロック優位の実態を出版社の悲喜こもごもとともに。次女の高校合格ととともにフィナーレ。46日の会期に38本の記事で濃度は82.6%。

<04.献呈>初演、初版、献呈と連なるシリーズの完結。17日の会期に11本の記事で濃度は64.7%。東北関東大震災により一日遅れの開幕だった。

<05.マーラー>ビューローの葬儀からマーラー没後100年の翌日まで51日の会期に29本の記事で、56.9%。震災関連ネタと次女高校オケネタを取り混ぜた。

<06.ハンブルク>思いの他伸びて、89日の会期に76本のハンブルクネタを公開した。濃度85.4%。ラスト10日は女声合唱団ネタになった。

<07.民謡>ハンブルク特集末尾の女声合唱団ネタから切れ目無く突入。111日の会期に99本の民謡ネタを放出しワイン特集に次ぐ89.2%の高濃度を達成。

2011年1月27日 (木)

初版出版社一覧表

やはりこれを掲げておかないと、話が一手遅れる感じがする。ブラームス作品の初版刊行を手がけた出版社名を作品番号順に列挙する。

  • 001 1853年12月 ピアノソナタ第1番 ブライトコップフ
  • 002 1854年02月 ピアノソナタ第2番 プライトコップフ
  • 003 1853年12月 6つの歌曲 愛の誠etc ブライトコップフ
  • 004 1854年02月 スケルツォ ブライトコップフ
  • 005 1854年02月 ピアノソナタ第3番 ゼンフ
  • 006 1853年12月 6つの歌曲 ゼンフ
  • 007 1854年11月 6つの歌曲 ブライトコップフ
  • 008 1854年11月 ピアノ三重奏曲第1番 ブライトコップフ
  • 009 1854年11月 シューマンの主題による変奏曲 ブライトコップフ
  • 010 1856年02月 4つのバラード ブライトコップフ
  • 011 1860年12月 管弦楽のためのセレナーデ第1番 ブライトコップフ
  • 012 1860年12月 アヴェマリア リーターヴィーターマン
  • 013 1860年12月 埋葬の歌 リーターヴィーダーマン
  • 014 1860年12月 8つのリートとロマンス リーターヴィーダーマン
  • 015 1861年04月 ピアノ協奏曲第1番 リーターヴィーダーマン
  • 016 1860年11月 管弦楽のためのセレナーデ第2番 ジムロック
  • 017 1861年01月 女声合唱のための4つの歌(ホルンとハープの伴奏)ジムロック
  • 018 1862年01月 弦楽六重奏曲第1番 ジムロック
  • 019 1862年03月 5つの歌 「エーオルスのハープに寄せて」etc ジムロック
  • 020 1862年03月 3つの二重唱 ジムロック
  • 021 1862年03月 自作主題による変奏曲ハンガリーの主題による変奏曲 ジムロック
  • 022 1862年12月 7つのマリアの歌 リーターヴィーダーマン
  • 023 1863年04月 シューマンの主題による変奏曲 リーターヴィーダーマン  
  • 024 1862年07月 ヘンデルの主題による変奏曲 ブライトコップフ
  • 025 1863年06月 ピアノ四重奏曲第1番 ジムロック
  • 026 1863年06月 ピアノ四重奏曲第2番 ジムロック
  • 027 1864年05月 詩篇第13番 シュピーナ
  • 028 1863年12月 4つの二重唱曲 シュピーナ
  • 029 1864年07月 2つのモテット ブライトコップフ
  • 030 1864年07月 教会歌 ブライトコップフ
  • 031 1864年07月 3つの四重唱 ブライトコップフ 
  • 032 1865年01月 9つの歌曲 「いかにおわすかわが女王」etc リーターヴィーダーマン 
  • 033 1865年09月 ティークのマゲローネのロマンス リーターヴィーダーマン 
  • 034 1865年12月 ピアノ五重奏曲 リーターヴィーダーマン
  • 035 1866年01月 パガニーニの主題による変奏曲 リーターヴィーダーマン
  • 036 1866年04月 弦楽六重奏曲第2番 ジムロック
  • 037 1865年09月 3つの宗教的合唱曲 リーターヴィーダーマン 
  • 038 1866年06月 チェロソナタ第1番 ジムロック
  • 039  1866年09月 16のワルツ リーターヴィーダーマン 
  • 040 1866年11月 ホルン三重奏曲 ジムロック
  • 041  1867年11月 5つの歌 リーターヴィーダーマン
  • 042 1868年??月 3つの歌 クランツ
  • 043 1868年12月 4つの歌曲 「永遠の愛」etc リーターヴィーダーマン 
  • 044 1866年10月 12の歌とロマンス リーターヴィーダーマン
  • 045 1868年10月 ドイツレクイエム リーターヴィーダーマン
  • 046 1868年10月 4つの歌 ジムロック
  • 047 1868年10月 5つの歌 「ことづて」「日曜日」etc ジムロック
  • 048 1868年11月 7つの歌 「あの娘のもとへ」etc ジムロック
  • 049 1868年11月 5つの歌 「子守唄」etc ジムロック
  • 050 1869年08月 カンタータ「リナルド」 ジムロック
  • 051 1873年11月 弦楽四重奏曲第1番、第2番 ジムロック
  • 052 1869年10月 愛の歌 ジムロック
  • 053 1870年01月 アルトラプソディ ジムロック
  • 054 1871年12月 運命の歌 ジムロック
  • 055 1872年12月 勝利の歌 ジムロック
  • 056 1874年01月 ハイドンの主題による変奏曲管弦楽版 ジムロック
  • 056 1873年11月 ハイドンの主題による変奏曲連弾版
  • 057 1871年11月 8つの歌 リーターヴィーダーマン
  • 058 1871年12月 8つの歌 リーターヴィーダーマン 
  • 059 1871年12月 8つの歌 「雨の歌」「おまえの青い瞳」 リーターヴィーダーマン
  • 060 1873年12月 ピアノ四重奏曲第3番 ジムロック
  • 061 1875年11月 4つの二重唱曲 ジムロック
  • 062 1874年09月 7つの歌 ジムロック
  • 063 1874年11月 9つの歌 「我が恋は緑」 ペータース
  • 064 1874年11月 3つの四重唱曲 ペータース
  • 065 1875年09月 新・愛の歌 ジムロック
  • 066 1875年11月 5つの二重唱曲 ジムロック
  • 067 1876年11月 弦楽四重奏曲第3番 ジムロック
  • 068 1877年10月 交響曲第1番 ジムロック
  • 069 1877年07月 9つの歌 ジムロック
  • 070 1877年07月 4つの歌 「ひばり」etc ジムロック
  • 071 1877年07月 4つの歌 「秘め事」etc ジムロック
  • 072 1877年07月 5つの歌 「古き恋」etc ジムロック
  • 073 1878年08月 交響曲第2番 ジムロック
  • 074 1878年12月 2つのモテット ジムロック
  • 075 1878年11月 バラードとロマンス ジムロック
  • 076  1879年03月 8つのピアノ小品 ジムロック
  • 077 1879年10月 ヴァイオリン協奏曲 ジムロック
  • 078  1879年11月 ヴァイオリンソナタ第1番 ジムロック
  • 079 1880年07月 2つのラプソディー ジムロック
  • 080 1881年07月 大学祝典序曲 ジムロック
  • 081 1881年07月 悲劇的序曲 ジムロック
  • 082 1881年12月 ネーニエ ペータース
  • 083 1882年07月 ピアノ協奏曲第2番 ジムロック
  • 084 1882年07月 5つのロマンスと歌 「甲斐なきセレナーデ」他 ジムロック
  • 085 1882年07月 6つの歌 「夏の宵」「森のしじま」etc ジムロック
  • 086 1882年07月 6つの詩 「テレーゼ」「野にひとりいて」 ジムロック
  • 087  1882年12月 ピアノ三重奏曲第2番 ジムロック
  • 088 1882年12月 弦楽五重奏曲第1番 ジムロック
  • 089 1883年03月 運命の女神の歌 ジムロック
  • 090 1884年05月 交響曲第3番 ジムロック
  • 091 1884年12月 アルトとヴィオラのための二つの歌 ジムロック
  • 092 1884年12月 4つの四重唱 ジムロック
  • 093 1884年12月 6つの歌とロマンス、食卓の歌 ジムロック
  • 094 1884年12月 5つの歌 「サッフォー頌歌」etc ジムロック
  • 095 1884年12月 7つの歌 ジムロック
  • 096 1886年03月 4つの歌 ジムロック
  • 097 1886年03月 6つの歌 ジムロック
  • 098 1886年10月 交響曲第4番 ジムロック
  • 099 1887年04月 チェロソナタ第2番 ジムロック
  • 100 1887年04月 ヴァイオリンソナタ第2番 ジムロック
  • 101 1887年04月 ピアノ三重奏曲第3番 ジムロック
  • 102 1888年05月 ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ジムロック
  • 103 1888年10月 ジプシーの歌 ジムロック
  • 104 1888年10月 5つの歌 ジムロック
  • 105 1888年10月 5つの歌「調べのように」「まどろみはいよいよ浅く」 ジムロック
  • 106 1888年10月 5つの歌 「セレナーデ」 ジムロック
  • 107 1888年10月 5つの歌 ジムロック
  • 108 1889年04月 ヴァイオリンソナタ第3番 ジムロック
  • 109 1890年02月 祝辞と格言 ジムロック
  • 110 1890年02月 3つのモテット ジムロック
  • 111 1891年02月 弦楽五重奏曲第2番 ジムロック
  • 112 1891年11月 6つの四重唱曲 ペータース
  • 113 1891年11月 3のカノン ペータース
  • 114 1892年03月 クラリネット三重奏曲 ジムロック
  • 115 1892年03月 クラリネット五重奏曲 ジムロック
  • 116 1892年11月 ピアノのための7つの幻想曲 ジムロック
  • 117 1892年11月 ピアノのための3つのインテツメッツォ ジムロック
  • 118 1893年11月 ピアノのための6つの小品 ジムロック
  • 119 1893年11月 ピアノのための4つの小品 ジムロック
  • 120 1895年07月 クラリネットソナタ ジムロック
  • 121 1896年07月 4つの厳粛な歌 ジムロック
  • 122 1902年04月 オルガンのための11のコラール前奏曲 ジムロック  

今日は一覧表の提示だけで終わりにする。

2011年1月26日 (水)

初演と初版

少なくとも大規模管弦楽曲においては、その初演と楽譜の出版の時期について、無視できない関係があると書いた。それはブラームスの都合と言うよりも出版社の都合であり、事実上ジムロックの事情でもあると推定した。

出版そのものは芸術的な創作行為とまでは言えないが、音楽の普及においては欠かすことは出来ない。昨年秋から初演について記事を重ねてきたが、これより出版についても考えを深めて行きたい。とりわけ最初の刊行、つまり初版について記事を連ねて行くこととする。

次なる演目は「初版」である。初版にまつわるあれこれを出版社間の悲喜こもごもを交えて掘り下げる。

2011年1月25日 (火)

発売初日

レポーター)放送席、放送席。こちらはベルリンです。ブラームス先生の「第4交響曲の2台のピアノ版」の発売を1時間後に控えたジムロック本店前からお伝えします。

レ)昨年10月25日にマイニンゲンで初演されたブラームス先生の第4交響曲は、その後各地で、マイニンゲン宮廷管弦楽団によって演奏され、センセーションを巻き起こしてきました。その一方で楽譜が発売されず、愛好家のフラストレーションも高まり続けておりました。このほど演奏会シーズンの終了を待って、やっと2台のピアノ版が発売の運びとなりまた。

レ)現在店の周りを囲むように、愛好家の行列が出来ています。その列は既に50mを超えています。列の先頭の方にお話を聴いてみます。

レ)いつ頃から並んでいますか?

列の先頭の方)一昨日の朝からです。

レ)どこからいらっしゃったのですか?

列の先頭の方)ハンブルクです。ブラームス先生サイン入りの初回限定版は、ベルリンでしか買えません。

レ)ありがとうございます。では2番目の方に伺います。管弦楽フルスコアが出たら買いますか?

2番目の方)はい。2台のピアノ版は管弦楽版が出るまでの繋ぎです。家にはピアノが1台しかないので、本当は連弾版が欲しいのですが仕方ありません。

レ)おおっとここで係員から何やら話がありそうです。

係員)早朝からのご来店ありがとうございます。ご通行の皆様の迷惑にならないよう、整列をお願いいたします。現在お並びいただいている皆様には、全員にお買い求めいただけるだけ初回限定版を用意していますが、間もなく定員に達する見込みですので、ただいまから整理券をお配りいたします。お一人様1枚とさせていただきます。

レ)列が伸びてきたので整理券の配布が始まるようです。

レ)初演以降20回を越える演奏会を通じて、ブラームス先生の第4交響曲の評判は上々で、出版のニーズが高まって参りました。間もなくあと60分ほどでやっと2台のピアノ版がリリースされます。さらに秋に予定されている管弦楽フルスコアとパート譜の発売により来シーズンはさらに作品が普及するものと思われます。

レ)以上、ベルリン・ジムロック本店前を終わります。

現在でも人気OSやゲームの人気ソフトの発売初日には、取り扱いショップの店頭で繰り返されている光景だ。ブラームス作品の初版の発売に伴って、こういう騒ぎが起きていたのではないかと想像している。

2011年1月24日 (月)

日普修好通商条約

幕末1861年1月24日、日本とプロイセンが修好通商条約を結んだ日。本日はちょうど150年目の記念日。これが日独友好150周年の起算日になっている。もちろんコテコテの不平等条約で後に改正されるし、当時日本側の当事者は江戸幕府で、ドイツ側はプロイセンだが、固いことを言わずに150周年を祝うという趣旨に賛成する。

そして本日は私の誕生日だ。

つまり私が生まれる99年前に日本とドイツのおつきあいが正式に始まったということだ。嬉しい偶然だ。

2011年1月23日 (日)

初演特集総集編

昨日の記事で「初演特集」が終わった。例によって初演特集総集編を公開する。

  1. 2010年11月04日 カールスルーエ ワイン特集に忍び込ませた予告編。
  2. 2010年11月20日 初演をめぐって 初演特集の開幕。
  3. 2010年11月22日  最多初演都市 初演回数最多はウィーン。
  4. 2010年11月24日 初演オリンピック ブラームス作品を初演した国。
  5. 2010年11月26日 都市対抗初演ダービー  交響曲と協奏曲の初演初年度。
  6. 2010年11月27日 ザロンの住人 ブラームス米国初演。
  7. 2010年11月29日 リストアップの威力 「ブラームスの辞書」の常套手段。
  8. 2010年11月30日 初演再考 大規模管弦楽作品の初年度受容を考える。
  9. 2010年12月01日 ボストンの栄誉 アガーテ六重奏曲初演。
  10. 2010年12月02日 秋春制 サッカーのシーズンと演奏会のシーズン。
  11. 2010年12月03日 海を渡る初演 ピアノ小品のロンドン初演。
  12. 2010年12月05日 お代わりランキング 同一シーズン内での再演。
  13. 2010年12月06日  絶頂期の定義 大管弦楽曲が定期的に発表された12年間。
  14. 2010年12月07日 初演の指揮者 ブラームス管弦楽作品の初演の指揮者。
  15. 2010年12月08日 マイニンゲンの貢献 マイニンゲン宮廷オケの活用。
  16. 2010年12月09日 ローテーションの谷間 大学祝典序曲と悲劇的序曲。
  17. 2010年12月10日 蜜月の終焉 ビューローとのいさかい。
  18. 2010年12月11日 Rシュトラウスはどうした ブラ4初演ツアーに帯同したのか。
  19. 2010年12月17日  たった一度の初演 一度だけ初演を経験した街。
  20. 2010年12月18日  初演の不調とは ピアノ協奏曲第1番を襲った不評。
  21. 2010年12月19日 初演の時期 交響曲と協奏曲の初演タイミング。
  22. 2010年12月24日 クリスマス休暇 クリスマスにはコンサートを開かない。 
  23. 2010年12月25日 ブリュル 交響曲ピアノ連弾版試演でのパートナー。
  24. 2010年12月27日  プラハ不出馬 プラハでは初シーズンの初演がない?
  25. 2010年12月30日  皆勤都市 唯一の初演コンプリートはライプチヒ。 
  26. 2010年12月31日  越年 初演の越年はヴァイオリン協奏曲だけ。 
  27. 2011年01月01日 元日症候群 ライプチヒにおける協奏曲初演にかかる偶然。
  28. 2011年01月03日  ライプチヒの誇り 都市対抗初演ダービーの優勝はライプチヒ。
  29. 2011年01月05日 ライプチヒの歓待 ライプチヒにおけるブラームスの位置づけ。  
  30. 2011年01月06日 新音楽時報 お手並み拝見モードと初演の評判。
  31. 2011年01月08日 英国とオランダ ブラームス新作の演奏に積極的な国。
  32. 2011年01月09日 フランスとイタリア 初演ダービー不参加の国。
  33. 2011年01年11日 演奏権の独占 楽譜の巧妙な発売時期。
  34. 2011年01月12日 またしてもジムロック 作品普及の業務分担。
  35. 2011年01月13日 やっぱりジムロック 管弦楽譜に先行する連弾譜。
  36. 2011年01月14日 2年目のジンクス 隔年初演の理由。
  37. 2011年01月16日 ハンブルクの不調 新作に腰が引けるハンブルク。
  38. 2011年01年17日 暗い泉 第4交響曲ウィーン初演の演奏評。 
  39. 2011年01月19日  ライプチヒ初演 クララがはじめて聴く生のブラ1。 
  40. 2011年01月22日 不評の原因分析 ピアノ協奏曲第1番の不評。
  41. 2011年01年23日 初演特集総集編 本日のこの記事。

アラビアンナイト計画2本目の企画「初演」は、会期65日で41本のネタ、濃度63.1%。前企画「ワイン」の高濃度から見ればスカスカの頻度とも言えるが、長丁場だから気を落とさずに、次の特集は明後日から開幕。

2011年1月22日 (土)

不評の原因分析

ピアノ協奏曲第1番の初演が、さんざんの評判だったことは既に述べた。

1859年1月22日ライプチヒだ。不評やむなしの条件が揃っていたとも言える。

ライプチヒは恩師シューマンが「新音楽時報」を創刊した街だ。ブラームスの出現に驚喜したシューマンがセンセーショナルな論文を投稿したが、そのころ既にシューマンは編集主幹の座を離れていた。後任はフランツ・ブレンデルという人物。どちらかと申せばあちら側の論客だ。つまりシューマン創刊の「新音楽時報」は、既に「新ドイツ派の機関誌」という位置付けになっていたのだ。

シューマンがベートーヴェンの後継者と絶賛する若者が、新ドイツ派のホームでいきなりデビュー戦を戦ったようなものだ。お手並み拝見モード満載、こてこてのアウェイだ。

ブラームスは失意の中で友人たちに書き送る。「そもそも有力なピアニストは皆新ドイツ派だから、取り上げてもらえるはずも無い」と歎く。リスト、ビューロー、タウジヒ等、ブラームスの超絶協奏曲を弾きこなせそうなピアニストは新ドイツ派に属していたから、半ば諦め顔のブラームスだ。

そんなことはない。クララを忘れては困る。

2011年1月21日 (金)

ジョーク

欧米においては必須の話術。

見知らぬ紳士がすれ違いざまにジョークを交換するということも少なくない。欧米の映画ではシリアルな作品にもジョークが盛り込まれるのが普通だ。ジョークで爆笑を期待するのは野暮というものだ。「私はあなたに危害を加えません」という意味があると見た。一国の元首の演説にさえジョークが盛り込まれる程だ。実は日本でも話の最後にサラリと発せられる気の利いたジョークは、オチと呼ばれて珍重される。

ブラームスの伝記を眺めていても、ジョークが頻発している。

寒いモノも散見されるが、微笑ましいモノや辛辣なものなど品揃えは豊富だ。頭の回転が速く機転が利くのだと思う。

羨ましい。日本ではジョークの伝統が浅いから、下手に真似をしようと力むと単に寒いだけになりかねない。寒いにとどまらず変な誤解が起きてブログ炎上の危険も小さくない。出し手も受け手もジョークに慣れていないのだ。

とはいえブログの記事の最後は、ニヤリとさせられるかどうかが問われる小さな戦場である。

2011年1月20日 (木)

フェルディナンド・ダヴィッド

昨年2010年は、作曲家シューマンとショパンの生誕200年のメモリアルイヤーだった。ロマン派を代表する2人のメモリアルイヤーだけあって何かとにぎわった。

本日の主人公フェルディナンド・ダヴィッドは2人の影に隠れがちではあるが、1810年生まれのヴァイオリニストだ。本日が生誕201年にあたる。1月20日ハンブルクの生まれだ。メンデルスゾーンのお友達という位置付けがまぶしい。名高いヴァイオリン協奏曲の作曲にあたり何かとアドバイスした上に、初演に際して独奏を受け持った。彼はライプチヒ・ゲヴァントハウスのコンサートマスターで、後にライプチヒ音楽院のヴァイオリン科の教授にもなった。

1850年に発足したバッハ協会の設立発起人の名簿にも彼の名前が入っている。バッハのインヴェンションのヴァイオリンとヴィオラの二重奏版、我が家の楽譜にその校訂者として名前が書かれている。

1853年11月デュッセルドルフのシューマン邸初訪問から始まった長い滞在のあと、ブラームスはライプチヒに向かった。シューマンが急ピッチで進める作品出版の打ち合わせたが主たる目的だったと思われる。このときのライプチヒ滞在は出版交渉のほかにも、数多くの出会いがあった。クララの父ヴィークにも会っている。

ここでブラームスはダヴィッドに会っていたのだ。ダヴィッドはブラームスのヴァイオリンソナタを演奏している。おそらく今は散逸してしまったイ短調のヴァイオリンソナタだ。この出会いから20年後1872年の段階で既にヴァイオリンのパート譜しか残っていなかったらしいが、ダヴィッドが弾いたときはピアノの譜面もあったことは確実である。

後にブラームスはこのソナタの出版を見合わせたが、このときダヴィッドが楽譜を所望していれば、散逸は免れたかもしれない。残念だ。

2011年1月19日 (水)

ライプイヒ初演

1877年1月18日交響曲第1番のライプチヒ初演があった。

クララ・シューマンがブラームスの第1交響曲を初めて聴いたのがこのときだとされている。草稿の段階では目を通していたし、ピアノ連弾版の試演も経験済みだったに違いないが、現実にフルオーケストラで鳴るのを初めて聴いたとされている。1868年の「ドイツレクイエム」初演に続いて、またしてもロベルトの予言が現実になったと感じたに違いない。

終楽章、歓喜の主題を導く「Piu Andante」は、まさにクララの誕生日に贈られた旋律だ。クララがそこに込められたメッセージを感じ取れないとは考えにくい。

2011年1月18日 (火)

残部僅少

有償か無償かを問わず、頒布のための出版物の残り部数が少なくなってきた場合、提供者がユーザーに向かって告知するフレーズだ。加えて「お求めはお早めに」という思いが込められているのが普通だ。残り部数の絶対数が決定的に少ない場合に加えて、一日平均の出荷数を勘案して品切れ間近の場合にも用いられる。

「ブラームスの辞書」の場合には年平均5冊がいいところだから、残り10冊になったとしても「残部僅少」とは言えない。「残部僅少」の告知をしてから本当に品切れになるのに2年もかかってしまっては、示しが付かない。ブログ「ブラームスの辞書」で「残部僅少」の文字が躍るのは、おそらく残り3冊程度になってからだ。

本当にそうなったら少し寂しいと思う。

2011年1月17日 (月)

暗い泉

1886年1月17日。交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮によるウィーンフィルの演奏だった。

ブラームスの盟友にして、音楽批評界の大物エドゥワルド・ハンスリックの演奏評が残されている。彼は交響曲第4番の終楽章を「暗い泉」と評した。作品全体の印象として、ただちに魅力の全貌を把握することが難しいと一般受けを心配している。

「ブラームスの第4交響曲のフィナーレとかけて、暗い泉と解く」

「その心は」と問われて、「深く見入れば見入るほど、星の光が明るく、輝き映える」と答えた。さすがである。ブラームス本人は恥ずかしがるだろうが、作品は雄弁で、バッハに着想を得たこの終楽章は知れば知るほどはまり込む。

2011年1月16日 (日)

ハンブルクの不調

1月2日の記事「ライプチヒの誇り」で「都市対抗初演ダービー」の優勝がライプチヒに決定したと書いた。ウィーンが惜しくも2着だとも申し上げた。

これはもしかすると万馬券の可能性がある。ライプチヒはピアノ協奏曲第1番の初演失敗の件に加え、リスト・ワーグナー派の中心的な位置づけでもあったから、ブラームス作品の受容に意欲的だとは思えないからだ。

ウィーンの優勢は自然として、それに次ぐとしたら故郷のハンブルクを思い浮かべるのが妥当というものだ。ハンブルクはピアノ協奏曲第2番、交響曲第3番、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲の3曲が、初演そのシーズンに取り上げられているに過ぎない。ウィーンやライプチヒには元より、ロンドンやアムステルダムの後塵を拝している。

ハンブルクフィルハーモニーのポストを熱望しながら、何度もあったチャンスを全て物に出来ないブラームスとハンブルクの溝は思いの外深いと見た。もしもドイツレクイエムの初演の栄光をブレーメンから強奪出来ていればまだしも、1889年にブラームスを名誉市民に選定して帳尻合わせを狙ったが後の祭りだ。

2011年1月15日 (土)

成人の日の想い出

昔は成人の日は1月15日と決まっていた。私の頃もそうだった。祝日でお休みになることは今と同じであるが、あの頃は学生で毎日がお休みみたいな生活だったからあまり関係がなかった。当日はオケの練習と重なってしまい、市主催の式典は欠席した。スーツを新調しなくてよいので親は喜んでいたと思う。

その代わりという訳ではないが、父が成人の祝いをくれた。

ベートーヴェン交響曲全集のレコード9枚組だ。ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏だった。当時大学2年だった私は、すでに前年春の演奏会をきっかけにブラームスが、脳内シェアを膨張させていた。父は私の中のそうした心の動きを知ってか知らずかベートーヴェンを選んだのだ。そりゃあ中学高校の間のはまり込みは並ではなかったから無理もない。

とはいえそのレコードはよく聴いた。解説書も繰り返し読んだ。私のベートーヴェンラブの最後のきらめきだ。

けれどもブラームスへの傾斜に歯止めはかからなかった。

あれから今日で31年だ。

2011年1月14日 (金)

2年目のジンクス

主にプロスポーツにおいて、デビュウ1年目で活躍した選手が、2年目に伸び悩む現象のこと。野球に多い気がする。統計的には投手に発生し易いらしい。

初演を含む最初のシーズンで評判が良かったブラームスの作品に、2年目のジンクスはあるのだろうか。ここでも初シーズンに出版が凍結されることがうまく作用すると感じる。1年目には演奏したくてもできなかった人々に対し、新シーズンを前に楽譜の販売が始まるからだ。評判のブラームスの新作をやっと演奏できるのだ。2年目のジンクスはあり得ない。

ここで昨年12月2日の記事「秋冬制」のリストを見て欲しい。

  1. 76~77シーズン 交響曲第1番(76年11月)
  2. 77~78シーズン 交響曲第2番(77年12月)
  3. 78~79シーズン ヴァイオリン協奏曲(79年1月)
  4. 79~80シーズン ヴァイオリン協奏曲普及
  5. 80~81シーズン (大学祝典序曲、悲劇的序曲)
  6. 81~82シーズン ピアノ協奏曲第2番(81年10月)
  7. 82~83シーズン ピアノ協奏曲第2番普及
  8. 83~84シーズン 交響曲第3番(83年12月)
  9. 84~85シーズン 交響曲第3番普及 
  10. 85~86シーズン 交響曲第4番(85年10月)
  11. 86~87シーズン 交響曲第4番普及
  12. 87~88シーズン ヴァイオリンとチェロのための協奏曲(87年11月)

第1交響曲、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲の3曲は、立て続けだったが、それ以降は隔年になる。もし立て続けだったら、やっと新作の楽譜にありついた人々の演奏(上記赤文字)と、次の新作の演奏が同一シーズンにかぶることになる。新作の発表を隔年にすることで、聴衆の目を1点に集中させることが出来る。

巧妙なマーケティングだ。

2011年1月13日 (木)

やっぱりジムロック

ブラームスの大規模管弦楽作品の楽譜が、初演の翌シーズン前まで発売されないと書いた。それがジムロックのマーケティングの賜物ではないかと推定した。

さらに追加がある。

ブラームスの大規模管弦楽曲には本人の編曲によるピアノ連弾版がある。そのピアノ連弾版の発売時期を調べてみた。

  1. 交響曲第1番 総譜・パート譜と同時
  2. 交響曲第2番 総譜・パート譜と同時 
  3. ヴァイオリン協奏曲 総譜・パート譜と同時
  4. ピアノ協奏曲第2番 ピアノ連弾版が半年先行 
  5. 交響曲第3番 ピアノ連弾版が1ヶ月先行
  6. 交響曲第4番 2台のピアノ版が5ヶ月先行
  7. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 本人編曲なし

ヴァイオリン協奏曲までは同時発売だったが、ピアノ協奏曲第2番以降、ピアノ編曲版の方が少し先行するようになる。

どうしたことか。

おそらくピアノ版が少し先行した方が売上が増えるのだと思う。初シーズンの出版を凍結させたことで、市場に楽譜待望の空気を充満させている。総譜、パート譜、ピアノ版を同時に出せば、各々が必要な楽譜を買うだけだ。ところが簡易バージョンたるピアノ版を先行して出版することによって、ピアノ版を欲しい人はもちろん、総譜やパート譜が欲しい人にまで買わせることが可能だ。ピアノ版をわずかに先行させることで両方買ってもらえるという寸法だ。

つくづく商売上手だ。

  

2011年1月12日 (水)

またしてもジムロック

昨日の記事「演奏権の独占」で、大規模管弦楽作品の出版が、翌シーズン前であることについて述べた。

さて「都市対抗初演ダービー」のリストを今一度ご覧いただきたい。各作品名の後ろに、出版社の名前も書いておいた。見ての通り全てジムロック社だ。ジムロック社は、これらの作品に対する原稿料を支払う。協奏曲で1曲あたり450万円、交響曲で750万円だ。ジムロックにとってはこの巨大な支払いがコストとなってのしかかるということだ。コストなら売上で回収せねばならない。

初演初シーズンを通して、各地で繰り広げられる演奏は、ブラームス本人かビューローが深く関与する。作曲者公認のオフィシャル模範演奏だ。これが欧州各地を巡回することで作品の評判は嫌でも上がる。ところが肝心の楽譜は、頑として出版されない。作品の評判が高ければ高いほど、「楽譜欲しいビーム」が各地から寄せられることになる。

半ば意図的に作られた楽譜待望状態の中、初シーズン終了の5月以降、おもむろに楽譜の刊行が始まる。次のシーズンが始まる前には遅くも出版を終えるという寸法だ。

  1. 作品を書くブラームス
  2. 作品を演奏するビューローやヨアヒム
  3. 作品を絶賛するハンスリック
  4. 作品を出版するジムロック

このような役割分担があり、各々が忠実に自らの役目をこなす。かくしてジムロックはブラームスの原稿料として支払ったコストを回収するというルーチンだ。ジムロック社の企業基盤の強化は、すなわちブラームスへの報酬支払い能力の強化でもあったに決まっている。

2011年1月11日 (火)

演奏権の独占

何やら難しそうなタイトルを掲げたが、大したことはない。

都市対抗初演ダービー」のリストには、各曲のタイトルの横に楽譜が出版された年月を添えておいた。不思議なことに、7作品全てにおいて、楽譜の出版が初シーズンの終了後になっている。

これはどうしたことだろう。

一つは、新作の初演を含む最初のシーズンの演奏は全て手稿譜で行われたということだ。総譜もパート譜もである。

さらにそこから考えを進める。手稿譜ということは、ブラームスに近い人たち、つまり手稿譜を入手参照可能な人々の手によってのみ演奏が可能ということだ。録音技術も複写機も無かった時代だ。耳コピの名人がいたとしても、交響曲を一回聞いただけでスコアの複製を作成することはほぼ不可能だから、初シーズンは事実上ブラームスの仲間しか新作を演奏することが出来ないということに他ならない。

このことを「演奏権の独占」と表現した。音楽界がこぞって注目するブラームスの大規模管弦楽曲の新作だ。演奏されれば巨大な反響を巻き起こすことは見えている。初シーズンを通して楽譜が市販されていない状態を意図的に作り出しているということだ。嫌でも期待は膨らむ。

一方でブラームスにも実質的なメリットがある。初シーズンを通しての各地での演奏経験から作品に修正を加えることが出来る。出版してしまった後では思うに任せない。完全主義者ブラームスとしては、完璧な状態での出版が理想だろう。

もっと重要なこと。それはもっとも早い出版が5月で、もっとも遅い出版が10月だということだ。初シーズンの閉幕を待って出版し、遅くも次のシーズンの開幕までには出版が完了することを意味しているからだ。

初シーズンでの評判がどれほど高くても、演奏出来ずに指をくわえて待っている人々は、翌シーズンを前に争って楽譜を入手するということになる。

2011年1月10日 (月)

世襲

特定の地位や肩書きが、子供に引き継がれることとでもしておく。事実上権力もセットということが多い。子供は必ずしも実子ばかりではなく、養子ということもある。一般に権力者のカリスマ性が大きいほど、交代には揉め事がついて回る。だから何のかんの言っても血縁関係が無難なのだ。世継ぎが居ないことも悩ましいが、同等の世継ぎが複数存在することも多難である。

我が家は、大した地位も名誉も特権も無いから、揉め事とは無縁だ。男の子1人に女の子2人だから、流れに身を任せることでスンナリだろう。

むしろ一番の心配は、ブログ「ブラームスの辞書」の管理人の座だ。古来、隆盛を誇った権力者の唯一のアキレス腱が後継者不在であった例は、枚挙に暇がない。我が家の子供たちはまだ、私がブラームスに目覚めた年齢に達していないが、うかうかしてもいられない。今のところ音楽への関心という面だけに限れば次女が筆頭候補だが、管理人としてはいささか心許ない。この際候補者を血縁の範囲内に限定しないほうがいいかもしれない。

私個人の目標は2033年の生誕200年までのブログ継続だが、管理人の地位を継承させれば、没後200年までの継続も可能になる。没後200年は、私の子供たちの代では到達しない。4代がかりになるはずだ。

3代目4代目を考えるより、当面2代目の育成が急務である。

2011年1月 9日 (日)

フランスとイタリア

都市対抗初演ダービー」も佳境だ。昨日の記事「英国とオランダ」でドイツ・オーストリア以外の国でのブラームス作品の受容に言及した。英国とオランダは吸収が早い。その一方で、問題にされない国もある。マッコークルの探索の範囲から単にはずれているだけという可能性もあるが、フランスとイタリアでは初シーズンでの演奏が無い。

元々ブラームスのフランス嫌いは一貫しているから、フランスが不存在なことには驚きは無い。当時ストラスブールはドイツ領だったから例外だ。

生涯で8度も旅行しているイタリアの諸都市も初演ダービーには参加していないようだ。イタリアは仕事に行く場所ではないということだろう。

フランスとイタリアが初演ダービー不参加の理由を、仮に非ドイツ語圏という共通点で一括しようとすると、英国の大健闘が説明できない。第一交響曲の米国初演が翌シーズンの1877年12月15日ニューヨークであることを思うと英国の健闘が際立つ。

2011年1月 8日 (土)

英国とオランダ

新作の演奏だけに的を絞ると、ブラームスの故郷ハンブルクは、あまり意欲的ではない。その一方でロンドンとアムステルダムは外国の都市でありながらブラームスの新作をいち早く取り上げている。

ロンドン。申すまでも無く英国の首都。初演ダービーの成績は下記の通りだ。

  1. 交響曲第1番 1877年3月31日
  2. 交響曲第1番 1877年4月16日
  3. ヴァイオリン協奏曲 1879年2月22日
  4. ヴァイオリン協奏曲 1879年3月06日
  5. ヴァイオリン協奏曲 1879年3月22日
  6. 交響曲第4番 1886年5月10日
  7. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 1888年2月21日

ブラームス本人は英国には渡っていない。作品の出版もされていない段階で、この成績には頭が下がる。第1交響曲と第4交響曲の指揮はおそらくヨアヒムだ。第一交響曲の英国初演をケンブリッジに譲っているのは癪のタネだろう。ヴァイオリン協奏曲を1ヶ月の間に3回というのも凄まじい。独奏はヨアヒムだから、彼の功績は大きい。ヨアヒムはブラームスの全権大使みたいなものだ。シーズン後半に集中していることも注目されていい。外国しかも地続きでないというハンデを乗り越える苦労を思いやりたい。

オランダ。首都アムステルダムばかりではない。ロッテルダム、ユトレヒト、デンハーグ等に満遍なく散らばっている。オランダ初演ツアーの存在を雄弁に物語る。英国と違ってブラームス本人が行けるという有り難みを満喫していると思われる。

英国とオランダ以外で目立つ外国は、スイスくらいだ。ブダペストのハンガリーはハプスブルク帝国の支配下にあったのでブラームスの感覚としては外国ではあるまい。

2011年1月 7日 (金)

新ドイツ派

19世紀後半のドイツ語圏に起こった音楽の一大勢力くらいな認識でよいのだろうか。私なりのイメージを以下に掲げる。

  • スローガン① 「目指せ未来の音楽」
  • スローガン② 「標題は音楽に不可欠だ」
  • 聖地      バイロイト
  • 事務局     ワイマール
  • 総裁      ワーグナー
  • 幹事長     リスト
  • 広報部長   フランツ・ブレンデル
  • ウィーン支部長 ブルックナー
  • 青年部    マーラー、Rシュトラウス、ヴォルフ
  • 広報誌     新音楽時報
  • 好きな物   ベートーヴェン、オペラ、無調、半音階、標題音楽
  • 嫌いな物   室内楽、ブラームス、シューマン、ハンスリック、調性、ビューロー

ロベルト・シューマン率いるダヴィッド同盟との関係は調査中。若きブラームスは、この団体に抗議文をたたきつけたことは有名だが、現在では「若気の至り」と解されている。ブラームスの興味は「未来の音楽」よりも「未来に残る音楽」を目指していた形跡がある。

もちろん私はメンバーになっていない。

2011年1月 6日 (木)

新音楽時報

ドイツ語で「Die Neue Zeitschrift fur Musik」と綴る。1834年4月3日ライプチヒにおいてロベルト・シューマンによって創刊されたドイツ最高の権威を誇る音楽誌。

1853年10月28日にはシューマン自ら「新しい道」と題する記事を投じ、ヨハネス・ブラームスを世に紹介した。ブラームスを巡る記述では必須のエポックだ。

美談に酔ってばかりもいられない。シューマンは1844年をもって編集主幹を退いていた。それ以降フランツ・ブレンデルがその地位にあった。この人は音楽に対する考えがどちらかと申せばあちら側の人だ。やがてこの伝統ある音楽誌はリストを中心とする新ドイツ派の機関誌という様相を呈するに至る。「標題音楽賛美」の論調だ。

リストを中心とするサロンのメンバーが集まるところに、ブラームスの紹介記事が投じられたのだ。そりゃあ話題にはなる。そこで「ブラームスがソナタや交響曲を書くのが楽しみだ」という趣旨の絶賛記事が踊るのだから、インパクトは相当なモンだ。アウェイのユニホームを着て、ホームチームのゴール裏に乗り込むようなモンだ。

シューマンの紹介記事は、ブラームスを瞬く間に有名人に仕立て上げたけれども、同時に無数の「お手並み拝見モード」も発生したと見るべきだ。シューマンにとっては元編集主幹の満を持した再登場だろうが、当事者ブラームスは新ドイツ派から好奇の視線を集めることになる。ブラームスのキャリアの初期における、ライプチヒの冷たい対応の原因にもなっていると感じる。

2011年1月 5日 (水)

ライプチヒの歓待

当初冷たい対応をしたライプチヒが、やがてブラームス作品を暖かく受け入れるようになったことを一連の記事で述べてきた。

ライプチヒの音楽界がブラームスをどのように遇したかを示す資料に出会った。音楽之友社刊行・日本ブラームス協編「ブラームスの実像」の中だ。ほぼ唯一の作曲の弟子グスタフ・イェンナーの手記が掲載されている。キール出身のイェンナーがブラームスとの初対面を回想している。キールにいたイェンナーはベルリンを経由してライプチヒに赴く。そこに演奏旅行で訪れているブラームスと面会するためだ。ベルリンからライプチヒまではヨアヒム四重奏団と合流したとある。ヨアヒム四重奏団の目的地もライプチヒだったのだ。

ライプチヒで何があるかと申せば1887年1月1日のヴァイオリンとチェロのための協奏曲のライプチヒ初演だ。ブラームスも初演に立ち会うためにライプチヒに滞在していたというわけだ。ピアノ三重奏曲第3番もこの滞在中に初演されたという。

約2週間の滞在中、毎晩主催者を代えてレセプションがあり、たくさんの音楽家が顔を揃えたと証言されている。いつでもブラームスが集まりの中心だったらしい。

1887年にはライプチヒにおけるブラームスの地位は盤石だったと推定出来る。

2011年1月 4日 (火)

挨拶回り

挨拶に出向くこと。出向く先が複数箇所であることを匂わすニュアンスがある。とりわけ正月はこれをするために、普段は出歩かない人まで外に出る。だから道が混む。ビジネスマンの世界で特に顕著に見られる。新年最初の得意先回りと定義してもはずれてはいないだろう。

ブラームス神社の例年のアクセスを見ていると、正月3が日よりも4日からの方がアクセスが手厚い感じがする。思うに正月は実家や観光地で過ごす人も多い。仕事始めで生活が日常に戻るから、ブログを覗きに来ることが出来るということかもしれない。そういう人が多いということは嬉しい。何故なら私のブログを見ることが日常の生活に組み込まれている証拠だからだ。

2011年1月 3日 (月)

ライプチヒの誇り

11月26日の記事「都市対抗初演ダービー」の優勝をライプチヒに決定する。受賞理由は以下の通りだ。

  1. 対象7曲全てに加えピアノ協奏曲第1番を含めた8曲全てを、完成後初のシーズン中に取り上げている。
  2. ヴァイオリン協奏曲の世界初演を開催している。
  3. 4つの協奏曲全てが1月に演奏され、とりわけ対象となる3つの協奏曲の初演が全て元日になっているこだわりがある。偶然ならなおのこと凄い。
  4. ピアノ協奏曲第1番に寄せられた、不評を覆す大方針転換を感じさせる。

上記4にも書いた通り、1859年1月27日のピアノ協奏曲第1番の初演は、大抵の伝記が言及している大失敗だった。さらに第一交響曲も他の都市に比べて冷ややかな反応だったっと伝えられている。加えてライプチヒを本拠とする大出版社ブライトコップフとは、弦楽六重奏曲第2番にからむトラブルから絶縁状態に至っていた。

ライプチヒの鮮やかな方針転換の原因は何だろう。

1879年1月1日のヴァイオリン協奏曲の初演ではないかと感じている。本来初演は1878年のうちに別の都市で済ますはずが、作曲の微調整が長引き結果としてライプチヒに初演のお鉢が回ってきたと推定した。それが良いキッカケになったのだ。バッハが永らく奉職したことで知られる、ライプチヒ・トマス教会が、ブラームスにカントル就任のオファーを出したのが、まさにその年1879年だった。

1886年2月18日にはピアノ協奏曲第2番がライプチヒで演奏された。第1番のリヴェンジを果たす大成功となった。

おめでとうライプチヒ。

2011年1月 2日 (日)

平均律音感チェッカー

昨日、鹿島アントラーズがサッカー天皇杯に優勝した。本日はその祝賀記事。初演特集の流れを敢然とブッタ切って断固発信するおバカネタだ。

作品の冒頭の音に注目する。鍵盤上の12種の音毎に代表作を選んでみた。ルールは以下の通りである。

  • 作品の冒頭が一つの音で出来ている。オクターブの上下は一つとカウントする。
  • 作品の主音である必要はない。

<C> 交響曲第1番ハ短調op68第1楽章 C音単独が冒頭で鳴り出す作品は意外に多い。他にもピアノ五重奏曲第1楽章および第3楽章、交響曲第3番第3楽章および第4楽章などだが、何と言ってもブラ1である。

<Cis> インテルメッツォ嬰ハ短調op117-3 2オクターブにわたってCisが鳴らされる。

<D> ヴァイオリン協奏曲ニ長調op77第1楽章 ライバルは多いがやっぱりこれだ。ヴィオラ、チェロ、ファゴットのユニゾン。

<Es> ホルン三重奏曲変ホ長調op40第2楽章 スケルツォらしい細かい動きを先導するのは紛れもなくEsの音。

<E> 交響曲第4番op98第2楽章 第2楽章を先導する孤高のホルン。

<F> ドイツレクイエムop45第1曲 伸ばすホルンと刻む低弦がともにFである。おそらく「F」はドイツレクイエムを象徴する音だ。

<Ges> インテルメッツォ変ホ短調op118-6 「音のかそけきこの夕べかも」

<G> 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36第1楽章 半音下のFisとの絶え間ない交代だから、いささか反則気味だ。

<Gis> カプリチオ嬰ハ短調op76-5 Cisに飛び付くための力強いアウフタクト。

<A> 弦楽六重奏曲第1番op18第2楽章 同じくDに跳躍するためのジャンプ台。世界遺産級のヴィオラの見せ場。

<B> ピアノ協奏曲第2番第op83第1楽章 ホルンの見せ場としてはこれまた世界遺産級。

<H> 交響曲第4番op98第1楽章 候補は多いがやっぱりこれで。

昨日の決勝戦でもし負けていたら、この記事は当分お預けだった。

2011年1月 1日 (土)

元日症候群

昨日大晦日の記事「越年」で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演が越年したと書いた。1879年1月1日ライプチヒが初演だった。奇妙な偶然がある。一昨日の記事「皆勤都市」を注意深く読むと判る。

初演ダービーの対象となった3つの協奏曲のライプチヒ初演を見るがいい。

  1. ヴァイオリン協奏曲 1879年1月1日(世界初演)
  2. ピアノ協奏曲第2番 1882年1月1日
  3. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 1888年1月1日

全部元日だ。これが交響曲ともなるとライプチヒ初演は全て元日ではない。だから協奏曲がいっそう際立つ。私好みの偶然。この話を本日公開したいがために、「ワイン特集」の次に「初演特集」を持ってきたおめでたい脳味噌。今年もまたこの手のおバカなこだわりと共に。

あけましておめでとうございます。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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