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2011年1月 5日 (水)

ライプチヒの歓待

当初冷たい対応をしたライプチヒが、やがてブラームス作品を暖かく受け入れるようになったことを一連の記事で述べてきた。

ライプチヒの音楽界がブラームスをどのように遇したかを示す資料に出会った。音楽之友社刊行・日本ブラームス協編「ブラームスの実像」の中だ。ほぼ唯一の作曲の弟子グスタフ・イェンナーの手記が掲載されている。キール出身のイェンナーがブラームスとの初対面を回想している。キールにいたイェンナーはベルリンを経由してライプチヒに赴く。そこに演奏旅行で訪れているブラームスと面会するためだ。ベルリンからライプチヒまではヨアヒム四重奏団と合流したとある。ヨアヒム四重奏団の目的地もライプチヒだったのだ。

ライプチヒで何があるかと申せば1887年1月1日のヴァイオリンとチェロのための協奏曲のライプチヒ初演だ。ブラームスも初演に立ち会うためにライプチヒに滞在していたというわけだ。ピアノ三重奏曲第3番もこの滞在中に初演されたという。

約2週間の滞在中、毎晩主催者を代えてレセプションがあり、たくさんの音楽家が顔を揃えたと証言されている。いつでもブラームスが集まりの中心だったらしい。

1887年にはライプチヒにおけるブラームスの地位は盤石だったと推定出来る。

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