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2011年1月 6日 (木)

新音楽時報

ドイツ語で「Die Neue Zeitschrift fur Musik」と綴る。1834年4月3日ライプチヒにおいてロベルト・シューマンによって創刊されたドイツ最高の権威を誇る音楽誌。

1853年10月28日にはシューマン自ら「新しい道」と題する記事を投じ、ヨハネス・ブラームスを世に紹介した。ブラームスを巡る記述では必須のエポックだ。

美談に酔ってばかりもいられない。シューマンは1844年をもって編集主幹を退いていた。それ以降フランツ・ブレンデルがその地位にあった。この人は音楽に対する考えがどちらかと申せばあちら側の人だ。やがてこの伝統ある音楽誌はリストを中心とする新ドイツ派の機関誌という様相を呈するに至る。「標題音楽賛美」の論調だ。

リストを中心とするサロンのメンバーが集まるところに、ブラームスの紹介記事が投じられたのだ。そりゃあ話題にはなる。そこで「ブラームスがソナタや交響曲を書くのが楽しみだ」という趣旨の絶賛記事が踊るのだから、インパクトは相当なモンだ。アウェイのユニホームを着て、ホームチームのゴール裏に乗り込むようなモンだ。

シューマンの紹介記事は、ブラームスを瞬く間に有名人に仕立て上げたけれども、同時に無数の「お手並み拝見モード」も発生したと見るべきだ。シューマンにとっては元編集主幹の満を持した再登場だろうが、当事者ブラームスは新ドイツ派から好奇の視線を集めることになる。ブラームスのキャリアの初期における、ライプチヒの冷たい対応の原因にもなっていると感じる。

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