ハンブルクの不調
1月2日の記事「ライプチヒの誇り」で「都市対抗初演ダービー」の優勝がライプチヒに決定したと書いた。ウィーンが惜しくも2着だとも申し上げた。
これはもしかすると万馬券の可能性がある。ライプチヒはピアノ協奏曲第1番の初演失敗の件に加え、リスト・ワーグナー派の中心的な位置づけでもあったから、ブラームス作品の受容に意欲的だとは思えないからだ。
ウィーンの優勢は自然として、それに次ぐとしたら故郷のハンブルクを思い浮かべるのが妥当というものだ。ハンブルクはピアノ協奏曲第2番、交響曲第3番、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲の3曲が、初演そのシーズンに取り上げられているに過ぎない。ウィーンやライプチヒには元より、ロンドンやアムステルダムの後塵を拝している。
ハンブルクフィルハーモニーのポストを熱望しながら、何度もあったチャンスを全て物に出来ないブラームスとハンブルクの溝は思いの外深いと見た。もしもドイツレクイエムの初演の栄光をブレーメンから強奪出来ていればまだしも、1889年にブラームスを名誉市民に選定して帳尻合わせを狙ったが後の祭りだ。
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