ある日のディナー
壮年期以降のブラームスは欧州楽壇の重鎮だった。それ相応の収入はあったが、生活は慎ましやかだったと関係者は口を揃える。けれども彼らはブラームスがおいしいものが好きだったとも証言する。
友人の家に招かれた際には、そこでご馳走になるのだが、そこの奥方たちからすこぶる評判がいい。何でも平らげるもてなし甲斐のある客だったのだ。もちろんただ食べるだけではない。大いに飲んだのだ。そして会話が弾みお開きは夜半ということも珍しくなかったらしい。
ブラームス晩年の友人に、ヴィクトール・ミラー・ツー・アイヒホルツがいた。ウィーンの貴族の家系を持ついわゆるセレブだ。ウィーンブラームス協会の初代会長でもある。ウィーンやミュルツシュラークでは彼の家によくお邪魔した。彼の妻の日記にはブラームスに提供したディナーの献立が記録されているという。ガイリンガーがその一部を引用している。
これによれば1896年2月20日、今から115年前のディナーの献立が判る。
- 脳のコンソメ
- 伊勢エビのサラダ
- 野菜つき牛フィレ
- ハムのマディラ島産白ワイン煮
- 山鶉
- アイスクリーム
- パン菓子
- シャンパン
- コーヒー
スープと魚介類各1種の他3種の肉を必ず供するようにしていたという。これは友人宅へのお呼ばれならではの豪華メニューだったらしい。
初版特集の真っ只中でこの話題では、浮き上がることこの上ないが、ここでこの記事を提示しておかないと今後の展開が苦しいため已む無く公開する。こう見えても苦労しているということだ。
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