出版社選びのバランス
ブラームスの初期作品の出版社について調べていて、興味深いことに気付いた。
- ピアノソナタ第1番ハ長調op1 ブライトコップフ
- ピアノソナタ第2番嬰へ短調op2 ブライトコップフ
- 6つの歌曲op3 ブライトコップフ
- スケルツォ op4 ブライトコップフ
- ピアノソナタ第3番へ短調op5 ゼンフ
- 6つの歌曲op6 ゼンフ
- 6つの歌op7 ブライトコップフ
- ピアノ三重奏曲第1番 ブライトコップフ
- 「シューマンの主題による変奏曲」op9 ブライトコップフ
全部がブライトコップフにはなっていないのだ。ブラームスの作品に驚喜したシューマンは、ブラームスをセンセーショナルに紹介する一方で出版の話を精力的に進めた。このときシューマンの念頭にあった出版社はブライトコップフだった。シューマンはブライトコップフからブラームスの作品を出版すべく詳細なプランをブラームスに提示してきた。あまりの性急さに当惑したブラームスがヨアヒムに宛てた手紙も残っている。事実シューマンのプランにあった作品の約半分が出版を見送られている。と同時に廃棄の運命を辿った。出版にこぎつけた作品全てがシューマン紹介のブライトコップフから出されていないというのが興味深い。
1853年秋おそらく11月に出版の打ち合わせにと赴いたライプチヒで、ブラームスはゼンフからの申し出を受けたという。
シューマンの尽力をそのまま受け入れて初めての出版社を1社に絞ってはいなかったのだ。おそらくヨアヒムをはじめとする何人かが相談に乗ったのだと思うが、尊敬する人物の薦めのままに出版を進める朴訥な青年ではなかった。ブラームスは生涯楽譜の出版社とは上手に付き合っている。そうした絶妙なバランス感覚が既にこのときに発揮されていたと解したい。
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