普仏戦争
1870年に起こったプロイセンとフランスの戦争。準備万端のプロイセンがあっという間に勝って、ドイツ帝国が成立した。
ブラームス37歳の時の出来事だ。兵隊に志願しようと考えたこともあるという。後年になってもブラームスはこのときの感激を知人に語っている。
歴史好きのブラームスは、詩人ヴィトマンから贈られた「青少年のための普仏戦争史」という書物を熟読したという。
ナポレオンの没落後の欧州を再設計するウィーン会議は、やはりドイツを小国の集まりのままにした。フランスという国はどこまでも地続きの隣国ドイツの強大化を恐れた。「プロイセンはやばい」と感じていたと思う。そのプロイセンに現われた切れ者がビスマルクだ。鉄血宰相のイメージは強いが、内政もしっかりしていた。少ない兵力を効率的に配置することで、多方面作戦に備える。プロイセン国内の鉄道網の急速な発展は偶然ではない。これに加えて巧みな外交だ。残念ながらナポレオン3世よりは役者が少々上だ。
というようなビスマルクをブラームスは賛美する。あるいはビスマルクの右腕モルトケ将軍も同様だ。2人ともブラームスに先んじてハンブルクの名誉市民に列せられていた。
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