聖霊降臨祭
ブラームスの友人で、大出版社を経営するフリッツ・ジムロックとブラームスの出会いを調べていた。音楽之友社刊行の「作曲家◎人と芸術シリーズ」の「ブラームス」の72ページに大きなヒントが載っている。
1860年5月27日から30日までデュッセルドルフでライン音楽祭が開催され、ブラームスがそこで友人たちと親しく交流したと書かれている。そしてブラームスはその音楽祭の後、ボンに移動して聖霊降臨祭の日に行われたシューマン追悼祭に出席したとある。ジムロックと出会ったのはこのときとされている。
ボンはジムロック社創業の地だから一応辻褄が合う。
しかし1860年の聖霊降臨祭の日付を調べていて疑問が湧いた。その年1860年の聖霊降臨祭は5月27日だったのだ。聖霊降臨祭は復活祭の49日後だ。復活祭は春分の日以降に訪れる最初の満月の日の次の日曜日と決まっているから、年によってズレる。復活祭を計算起点とする祝日もまた同様だ。
上記書物の記載を信じる限り、その年の聖霊降臨祭は6月1日以降でないと辻褄が合わない。これが東方教会となると話は別で6月3日が聖霊降臨祭だ。ブラームスのドイツレクイエム初演が1868年の聖金曜日とされているから、ドイツが西方教会に属しているのは明らかだ。
どこかに何らかの行き違いがあると考えざるを得ない。
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