自筆譜の権威
大作曲家の自筆譜ともなれば、音楽的価値に加えて骨董的価値も計り知れない。ブラームスの自筆譜の所在は、マッコークルにほとんど掲載されていて、博物館や図書館をはじめとする、確かな場所に収蔵されている。それなりの丁寧な扱いを受けているということだ。
ところが、ブラームスは友人で出版人のジムロックへの手紙の中で、自筆譜の価値について興味深い見解を述べている。
「権威があるのは、手書きの原稿ではなくて、私自身が校正したスコアです」
ブラームス本人の言葉であることでいっそう重みが増している。当代一級の音楽学者たちとの交流があったブラームスだから、作曲家の自筆譜が研究面での超一級の資料であることは、百も承知でなおこの発言である。
むしろブラームスは自筆譜の持つ弱点にも知悉していたと思われる。骨董的な価値は棚上げにして、広く世間に公開する手段としての出版に重きを置き、その出版においては、何が重要かを語った言葉だと感じる。手書きの原稿には間違いもあるし、作曲家が必ずしも達筆ではないことに起因する誤解も生じる。それらを全てお見通しの作曲家本人の手により校正済みのスコアこそが、出版譜の底本になるべきだという見解だ。
最近こういう話を聞いてカッコいいと思うようになってきた。歳だろうか。
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