公の場
「こうのば」または「おおやけのば」と読む。難解だ。「離婚後公の場に初めて姿を見せた」芸能人のコメントなど週刊誌でよく見かける。何か揉め事があると「出るとこに出る」などといわれることがあるが、「公の場」へ出ることだろうか。世の中社会の仕組みが複雑になって行くと、「公の場」での出来事を基本に物事が進められて行く。
大臣のオフレコ発言は、「公の場」ではない代表例だ。極端な話「公の場」でない発言は、言わば無かったも同然なのだ。
ブラームスの「公の場」は、演奏会の会場。自分が指揮または演奏をする演奏会は、逃げ切れぬ「公の場」だ。しかし作曲家ブラームスを考えると演奏会場よりももっと重要な「公の場」が楽譜だ。楽譜に盛り込まれたことこそが全てだと、おそらくブラームスは考えていた。その先演奏家がそれをどのような音にするかについては関与しない立場だ。関与しなくて済むように、周到に音符を並べた。誤解の起きそうな部分には音楽用語や音楽記号も添えた。
そこにこそ「ブラームスの辞書」の狙いがある。
自らの生存中はもちろん、没後も作品が誤解無く解釈されるように気を配ったことは確実だ。先輩作曲家研究の泰斗でもあったブラームスには、過去の作曲家の作品がその没後にどういう扱い方をされるかについては、人一倍知識があった。どういう残し方をすべきかについて確固たる信念があったに決まっている。
音楽用語や音楽記号の配置が、でたらめであるはずがない。
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