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2011年3月 6日 (日)

ヘルテルの牙城

現在に至るもなお、楽譜出版の雄として君臨するブライトコップフ&ヘルテル社の創業は、1719年に遡る。ベルンハルト・クリストフ・ブライトコップフがライプチヒで出版業を起こしたことに始まる。楽譜出版に手を染めたのは二代目のヨハン・ゴットロープ・インマニュエルの時代だ。1755年である。ところが同社は3代目の時代に経営に行き詰まる。1795年おそらくそこでライプチヒの銀行団が送り込んだのが、ゴットフリート・クリストフ・ヘルテルだ。弱冠32歳のヘルテルは鮮やかに社業を回復させた。このときから同社は「ブライトコップフ&ヘルテル」という社号を用いることとなった。私がブログで単に「ブライトコップフ社」と書いているのは正確ではない。

昨日の記事で欧州の主要な楽譜出版社のマーケットシェアを知りたいと書いた。他人任せは良くないと調べてみたが、どうもブライトコップフ&ヘルテル社の地位は強大だった。ジムロックのブラームスのほか、マインツのショット社と蜜月だったワーグナーを除くと、ブライトコップフ&ヘルテル社の独壇場だ。

アガーテ六重奏曲出版にまつわるトラブル以降、ブライトコップフ&ヘルテル社と袂を分けたブラームスは、欧州を牛耳る大出版社と事を構えたということだ。おそらくそれはヘルテルの子供2代目の時代である。

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