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2011年4月20日 (水)

ハンスリック

記事「欠席者のリスト」でブラームスの葬儀の欠席者を話題にした。参列して当然の大物4人が欠席していると問題を提起した。

  1. ハンス・リヒター
  2. ヨーゼフ・ヨアヒム
  3. グスタフ・マーラー
  4. エドゥワルド・ハンスリック

上記のうち3番までの3名は、みな演奏家だからキャンセル出来ぬ演奏会と重なったのだと推定した。

本日はハンスリックを話題にする。実はこのネタが載っている「ブラームスの実像」の最終章の末尾に訳注が振られている。最終章そのものはブラームスの葬儀の模様を伝える翌日の新聞記事の和訳だ。訳者は葬儀の様子を伝える記事を執筆し、無署名で寄稿したのがまさにハンスリックではないかと指摘している。

なるほど、記事は参列者でなければ判らないようなことまで克明に書かれている。さらに各国音楽界が送り込んだ要人の名前まで事細かである。翌日の新聞記事であることを考えると執筆者の情報網に嘆息せざると得ない。そして記事は「さらば親愛なる巨匠ヨハネス」と結ばれている。

以下推測だ。

ハンスリックは、19世紀後半の音楽界を2分した大論争の片側の当事者だ。そしてブラームスはいわば戦友だ。戦友の死を悼む最大の方法として、もっとも得意とする方法を採用したと考える。音楽評論界の重鎮として君臨するハンスリックにとってもっとも得意な方法とは、つまりペンを執ることだ。親友の旅立ちの様子を渾身のレポートとしてまとめ、無署名とすることでブラームスに頭を垂れたのだ。おそらく故人の近親者として葬儀の中心にいたに違いない自分の名を記事から抹殺することで最高の弔意を示したと解したい。

ハンスリックは欠席してはいなかった。

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