フィガロハウス
最近モーツアルトハウスと改名されたらしい。ウィーンはドームガッセにあったモーツアルトの住居跡だ。1884年から1887年にかけてモーツアルトが住んだとされている。ここで「フィガロの結婚」を作曲したから永らく「フィガロハウス」と呼ばれてきた。
現在でこそウィーンの観光名所になっているが、ブラームスがウィーンに進出した当時は、まだ普通の住宅だったようだ。
1862年10月、ウィーン進出間もないブラームスは早速ウィーンの音楽家たちとの交友を深め始める。四重奏団を率いるヴァイオリニスト・ヘルメスベルガーとは早速ピアノ四重奏を演奏して楽しんだ。ピアノはブラームス自身が担当し、ト短調のピアノ四重奏曲第1番を初見で演奏したらしい。
会場はウィーン音楽院ピアノ科教授のユリウス・エプシュタイン邸だという。何と何とこの邸宅が、フィガロハウスらしいのだ。複数の伝記でこの事実が確認出来ればいいのだが、現在裏付け調査中だ。
もし事実ならモーツアルトがベートーヴェンと語らった家だ。
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