欠席者のリスト
人は何かとリストアップする。特定の条件を満たす要素を漏れなく拾い出しては表にする。その表に何かを物語らせたいからだ。表に現れた顔ぶれを分析して未知の傾向を読み取ろうと心を砕く。
書物「ブラームスの辞書」の狙いは、まさにそこにあった。ブラームス作品の楽譜に出現する楽語を抜き出してアルファベット順に並べる中から、ブラームスの用語使いの癖にたどり着きたいと心から願う立場だ。
ところが、リストに載ってきた事項もさることながら、逆にリストから漏れた事項が雄弁に何かを物語ることがある。4月7日の記事「poco p」がその例だ。
音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章にブラームスの葬儀の模様が克明に描写されている。葬儀への参列者が個人団体を問わず列挙されているのだ。いわば「参列者リスト」だ。日本のような芳名帳があれば、量といい質といい貴重な逸品になったに違いない。
本日の論旨から申せば、今日の主役はそのリストに名前の無い人たちだ。ブラームスとの関係、当時の社会的地位から申して載っていてもおかしくない人物が抜けているのだ。
- ハンス・リヒター
- ヨーゼフ・ヨアヒム
- グスタフ・マーラー
- エドゥワルド・ハンスリック
この4人だ。ブラームスの昔の恋人アガーテが載っていないとしても、さほど驚くには当たらぬが、これら4名は「載っていてもおかしくない」どころではなくて「載ってなければならない」と感じる。もちろん記事の最後にはウィーン中の音楽関係者や友人が多数参列したと書かれているが、この4名がその他大勢として扱われるハズがない。
1番のハンス・リヒターは、1897年3月7日にウィーンフィルを指揮してブラームスの前で第4交響曲を演奏した。ウィーン市民は広く知られていたから、葬儀に欠席すれば目立つ。「ブラームスの実像」本文に欠席の理由が書いてある。ブダペストの演奏会と重なったためだそうだ。なるほど2番目のヨアヒムとともに2人は当代屈指の演奏家だ。友人恩人の葬儀といえどもコンサートのキャンセルなどおいそれと出来るものではないのだ。
ハンス・リヒターの欠席の理由になったブダペストの演奏会のプログラムを見てみたい。リヒターのことだ、ブラームスの訃報に接して予定のプログラムを急遽取りやめ、オールブラームスプログラムに差し替えるくらいのことはしていたかもしれない。
こうして見るとマーラーの欠席も合点が行く。今でこそ作曲家としての名声が定着しているが、若きマーラーは何よりもまず指揮者として台頭したのだ。
一概にマーラーを責めてはなるまい。
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