やっぱりがっかり
グスタフ・マーラーが1897年4月16日にハンブルク最後の演奏会で、モーツアルトのレクイエムを演奏したと昨日書いたばかりだ。マーラーの演奏会の記録を調べていた興味深い発見をした。
そのハンブルクの演奏会の選曲がブラームスへの哀悼の意思表示だと推測したが、その直前の演奏会は、1897年3月31日ブダペストだった。4月1日から15日までちょうど15日間は、演奏会が空白だったのだ。マーラーの書簡集を調べるとどこにいたかがわかる。ウィーンにいたのだ。正確には4月1日から8日まで一週間のウィーン滞在だ。9日には友人宛の手紙がハンブルクから投函されている。これ4月16日のハンブルクでの最終公演を準備したものと思われる。
しかししかし、それならばブラームスの葬儀には出席出来たハズだ。4月13日の記事「ちょっとがっかり」で述べたように、ウィーン進出の恩人の葬儀に欠席とは水臭い。キャンセルの出来ぬ演奏会と重なっていたら仕方ないと4月15日の記事「欠席者のリスト」で書いたが、15日間も演奏会の空白があり、ましてやウィーンに滞在したと判明した以上、がっかりが復活する。
もし葬儀への欠席が事実なら4月16日の演奏会のモツレクには「葬儀欠席のお詫び」の意味もこめられていたに違いない。
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