トラウン川のさざなみ
ブラームスとマーラーの関係を論ずる際、しばしば引用されるエピソードがある。
ブラームスの夏の避暑地イシュル近郊で2人は散歩に出る。マーラーは傍らのブラームスに、「きれいな波が来ていますよ」とトラウン川を指さす。「新しい音楽の流れです」と切り出す。ブラームスは「ほほう」とばかりにマーラーが指し示す方角に目を凝らして「きれいだね」と大人の対応をする。「けれども、あの波が沼に注いで淀むのか、大海に達するのかが大切ではないかね」とチクリだ。
若きマーラーは自信に満ちて、楽壇の重鎮ブラームスを前にしても臆するところもない。「新しい流れ」を自らになぞらえ、ブラームスから同意を引き出すための先制攻撃に出た。
迎え撃つブラームスは、マーラーの中央突破をサラリと交わしつつ、肩の力の抜けた対応だ。川面の波を自らになぞらえたマーラーの寓意を受け止め、川の対照としての大海を持ち出す。ベートーヴェンの有名な例え「バッハは小川(Bach)ではなく、大海と称するべきだ」を踏まえている可能性も感じてしまう。「きれいはきれいだが、大切なことは他にある」とキッパリである。
マーラーという波が大海に注いだのかどうか、ブラームスが自分で確かめるには残された時間が少し短すぎた。
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