3人のピントー
カルル・マリア・フォン・ウェーバーの遺作オペラ。1887年ウェーバーの孫カルル・フォン・ウェーバー大尉から依頼を受けたグスタフ・マーラーが、ほぼ旋律だけという断片から補筆しオペラに仕上げた。26歳のグスタフ・マーラー渾身の難事業であったという。この気合はただ事ではないのだが、若きマーラーはカルル大尉の妻マリオン・マティルデに思いを寄せていたという指摘もある。1888年1月20日マーラーの指揮によりライプチヒで初演された。そこそこ成功したとされている。
これに対してのブラームスのコメントが記録されている。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻56ページだ。
ブラームスはウェーバーが残した断片を見たことがあるようだ。旋律と演奏時間が書かれているだけで、ベースラインが無いことを指摘している。残された部分が少なすぎて、ここから復元となると誰が引き受けてもウェーバーの語法は残らないと断言する。たとえそれがマーラーほどの男の手によるものでも純粋にウェーバー風の作品にはなるまいとしている。
確固たるオペラ観、確固たるウェーバー観、確固たるマーラー観が無ければ吐けない言葉である。
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