ベートーヴェン賞
ウィーン音楽院の在校生と卒業生が参加するコンクールの優秀者に授与される賞だ。賞金は500グルデン、約1000マルクであった。
1881年ウィーン音楽院卒業から3年を経たグスタフ・マーラーは「嘆きの歌」をもってコンクールに2度目の応募をするが、ブラームスやハンスリックを含む審査員からの拒絶にあう。マーラー関連の書物には「選に漏れた」程度の表現はなく、みな「拒絶にあった」等の激しい形容を用いている。
ワーグナーに心酔し、既にブルックナーとも深く親交があったマーラーの意欲作だ。2管編成を遥かに凌駕する大編成の管弦楽、混声合唱に、3人の独唱者を加え、40分の演奏時間を要する巨大な外見だけで、ドン引きする向きもあったに違いない。ブラームス本人のコメントは残っていないが、1873年から数年続けてオーストリア国家奨学金を獲得したドヴォルザークとの対応の違いは明らかだ。
立身出世を遂げた後、マーラーは「嘆きの歌」の選外を回想する。曰く「あのときベートーヴェン賞が取れていたら、全く違った音楽家人生になっていただろう」
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