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2011年5月 4日 (水)

ハンブルク市立歌劇場

グスタフ・マーラーがウィーン宮廷歌劇場指揮者に就任するまでハンブルク市立歌劇場に勤務していた。1891年から1897年のことだ。「ハンブルク市立」というと「横浜市立」や「大阪市立」と同じノリを想像してしまうが、少し違う。ハンブルクは州と同格の独立市だから、ザクセン州立、バイエルン州立に近い。周知の通りドイツは連邦制だから、州立は日本人の想像よりは、国立に近いイメージとなる。

さて、ライプチヒ勤務中の1886年、ハンブルク市立歌劇場からマーラーに主席楽長就任のオファーがあった。条件面で折り合いがつかず見送られている。

このときにマーラー側が主張した年俸が6000マルクだった。3ヶ月の休暇と2年目以降の解約権、さらにワーグナーやモーツアルトのいくつかのオペラの独占上演権を主張したようだ。このときマーラーは26歳だったが指揮者としての実力が徐々に知られ始めていた。ハンブルク側との交渉がまとまらなかったのは、これらの諸条件のうちの全部または一部が食い違ったために違いない。

新進気鋭のオペラ指揮者が要求する年俸が6000マルクだったということだ。

ブラームスの交響曲1曲の相場は15000マルク。マーラーが要求して合意できなかった年俸の2.5倍にあたる。1875年以降に発表されたブラームスの室内楽は1曲3000マルクが支払われているから、その2倍だ。

当時の楽壇におけるブラームスの位置付けには嘆息せざるを得ない。

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