天保の大飢饉
ブラームスの誕生日。しかも今年はラフォルジュルネでも取り上げられたというのに、本日のタイトルはいかにも怪しい。
じゃがいもはドイツの食糧事情の改善に大きく貢献した作物である。救荒作物としてのじゃがいもの効用だ。日本ではどうなっていたのかと調べた。申すまでもなく日本の主食は米だ。貨幣の代わりでさえある。だが救荒作物かと申せばそうではない。救荒作物とは米の不作を補う存在でなければならない。さつまいもや雑穀が地域の実情に合わせて栽培されていたという。全国共通という視点からなら味噌が俄然注目される。保存性抜群の蛋白源で、いざというときには藁を粉にして味噌をまぶして食べるなどという用法もあったらしい。味噌のたくわえがあれば餓死しないとまで言われている。江戸時代の飢饉は1年で収まらなかった。完全な終息には5年かかるケースも珍しくない。江戸の4大飢饉の中で最後にやってきた天保の飢饉は天保4年に始まった。やませの影響を強く受ける東北地方の被害が大きく終息までに5年かかったとされている。
毎度毎度の飢饉にいためつけられた人々は工夫もした。備蓄米だ。脳味噌のスランプに備えてせっせと記事を備蓄するのに似ている。その保存性が見込まれて味噌も重要な備蓄物資になった。時には5年に及ぶ飢饉の被害を見越して、東北の旧家では味噌7年分の備蓄を家訓として最近までこれが守られていたという話もあるくらいだ。
飢饉が始まった天保4年を西暦に直すことが本日最大のオチになる。それは1833年だ。ブラームスの生誕から5年間日本は未曾有の飢饉に襲われていたということだ。
昨夜ブラスマスイヴは、珍しくフランスワインで乾杯。貴腐にしては格安のお値段につられて買い求めたが、正解だった。
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