ビートルズ発祥の地
実はビートルズが好きだ。そのビートルズの発祥の地は一般に英国リヴァプールとされている。ところがだ。リヴァプールはメンバーの出身地あるいは、前身となったグループ発祥の地という意味ではOKだが、厳密な意味でのビートルズ発祥の地ではないとも言える。
1960年8月のことだ。ビートルズの前身シルバービートルズは、ドイツハンブルクのクラブ経営者ブルーノ・コシュミダーから演奏のオファーを受けた。当時のメンバーは、ジョン、ポール、ジョージにスチュアート・サトクリフを加えた4名だった。渡独前夜にドラマーのピート・ベストが加わった5人は8月17日午後ハンブルクに着いてすぐコシュミダーの事務所で契約をする。このときの契約書上で「ビートルズ」と名乗ったのが「The Beatles」が公式記録に現われる最初の事例だ。だからビートルズ発祥の地はハンブルクだとも言える。
その夜から10月3日までレーパーバーンにあるクラブ「インドラ」で演奏した。騒音の苦情に屈する形で10月4日からはクラブ「カイザーケラー」に場所を移す。リンゴ・スターとの出会いは「カイザーケラー」だと言われている。この店は今でもあるらしい。あるときビートルズが別のクラブ「トップテン」で無断に演奏したことから12月半ばで英国に帰国する。これが第1回ハンブルク遠征だ。
翌年1961年4月1日から7月1日までが第2回ハンブルク遠征。この遠征中に公演の合間を縫って、7曲がレコーディングされている。「マイボニー」と「ザセインツ」を収録したシングル番がドイツポリドールからリリースされた。
第3回ハンブルク遠征は1962年4月11日からだ。元メンバーのスチュワート・サトクリフが急死した翌日に当たる。5月31日までハンブルク「スタークラブ」で演奏した。
デビューシングル「Love me do」発売前のハンブルク遠征はこの3回だ。
第4回は1962年11月1日から11月14日。5回目は同年12月18日から31日だ。この2回は録音だけだったとも言われている。
ビートルズはハンブルクと縁が深いとだけは記憶しておきたい。
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