義賊
庶民の味方。お上に逆らって非業の死を遂げることが多い。庶民の支持が厚いという共通点は必須と思われる。ねずみ小僧など日本にも候補者がいる。
ハンブルクを含む北ドイツにも義賊と呼ぶに相応しい人物がいた。クラース・シュテルデベッカーという海賊だ。1400年(1401年とも1402年とも)に40歳で死んだ。生まれた場所は不明。狙ったのはハンザ都市ハンブルクやブレーメンに出入りする商船だから、ハンザの敵でもあるのだが、戦利品を貧しい人々に分け与えたとされている。
庶民の人気を反映してか、地名や伝説が濃密に分布する。北海沿岸を走る観光街道は「シュテルデベッカーシュトラーセ」と命名されているし、ハンブルクなどいくつかの都市に銅像がある。
活動の拠点はオランダ国境に近い東フリースラント地方のマリーエンハーフェンという港だった。現在は内陸に入っているが当時は海岸に面していたという。近隣の娘との間に子をもうけたという話もある。ハンザ同盟全盛期ではあったが、このあたりにはハンザ都市はなく、むしろハンザは搾取者あるいは少なくとも競合者だったから、ハンザの商船を襲って市民に還元する海賊が英雄視されるもの無理は無い。
ハンザ諸都市の必死の取締りをかいくぐっていたが、ヘルゴランド島でついに仲間72名とともに捕らえられた。ヘルゴランド島は北海に浮かぶ孤島。ハンブルクやブレーメンから出る船を待ち伏せするには格好の位置。活躍の場もここなら捕まるものこのあたりだ。ハンブルクに移送されて裁判にかけられたが、案の定な死刑判決が出る。公開処刑にあたり、執行人に要求する。「仲間を一列に並べてくれ」「オレは首をはねられた後仲間の前を歩く」「「歩けたところまでの仲間の命を救って欲しい」
これが聞き届けられなかったとする説、途中で妨害されたとする説、11人が救われたとする説の3通りが伝えられている。
ブラームスはこの伝説を知っていた可能性が高い。
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