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2011年6月25日 (土)

コレラパンデミック

コレラの世界的な流行のことだ。1840年に始まったアジア型コレラの流行がドイツに及んだのが1848年頃らしい。ブラームス15歳の頃だ。この年ブラームスはハンブルクにおいて初めて人前でピアノを弾いたが、コレラ流行の最中だった可能性もあるようだ。ちなみにこのとき流行の最先端は1858年に日本に及んだ。

1884年にコッホ博士がコレラ菌を発見するが、直ちに流行の撲滅には繋がらなかったらしい。現在ではコレラの主たる感染経路は、患者の糞便や吐瀉物が飲み水に混入することが主因だと判明しているから、それなりの体制が整っているが、当時はそこが思うに任せなかった。コレラ菌自体は発見されたが、効果的な予防法は手探りだったという。

コレラ予防対策で上水重視か下水重視かの論争さえあった。

論争の決着に功績があったのが、実はブラームスの故郷ハンブルク市だ。5回目のパンデミックに相当する1890年代の流行の時、ハンブルクのアルトナ地区とその他でコレラの発生が劇的に違っていた。両地区における下水設備は同等だが、上水の供給方法の違いから原因が究明され、上水へのケアで感染率が抑えられることが判明したという。欧州におけるコレラ対策が劇的に進むことになる。

クララの孫ユーリエの日記の中にこのときのハンブルクでの流行の記述がある。

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