ハンブルク空襲
ブラームスの生家はハンブルク・シュペクスガンク24番地にあったという。写真で見る限り5階建ての高層アパートに見える。第二次大戦の空襲で焼かれ現存していない。
いつ焼失したのか調べていたら、すごいことが判った。
第二次大戦中の連合軍によるハンブルク空襲は苛烈を極め、その被害はきわめて甚大だったらしい。ドイツの戦意を奪い取る目的もあったようだ。後に「ドイツのヒロシマ」と称されることもあったというから、その凄まじさが知れよう。
1843年7月24日に始まった空爆は1週間続き少なくとも5万人が死亡し、100万人が被災したという。最大の被害は7月27日から翌日にかけて発生したらしいが、このときは市街の東側だったとされている。ブラームスの生家はむしろ市街の北西にあるから、おそらく7月24日から翌日にかけての空襲で焼失したものと思われる。
合掌。
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