門前払い
議論が本質に到達する前に却下されること程度の意味だろう。する側は「軽い気持ちで悪気無し」であることも少なくないが、された側のダメージは概ね小さくない。
ブラームスを巡る最大の門前払いは、1850年3月に起きた。17歳のブラームスはハンブルクを訪れたロベルト・シューマンに自作を送って批評を乞うた。それをロベルト・シューマンは封を切らずに返送した。
ロベルト・シューマンの伝記にはほとんど現れない出来事だが、ブラームスの落胆は相当なものだろう。1853年10月デュッセルドルフのシューマン邸における感動的なエピソードに隠れているが、ブラームス側の伝記では無視出来ぬ出来事だ。そういうものだ。門前払いを巡る当事者双方における事の重大性の認識には、かくの如き差があるものだ。
このエピソードが我々後世の愛好家の知るところとなっているのは不思議だ。誰がニュースソースなのだろう。ブラーム自身が周囲に語る以外には考えられない。シューマン自身が「私は若きブラームスを門前払いした」などと周囲に語るハズがない。ブラームスを世間に紹介した記事は、ブラームスの発見者になれた喜びに満ちているが、3年前に門前払いをしたことには言及していない。ブラームスはおそらく1853年の夏、しきりにシューマン訪問を薦める友人たちに「実はね」という具合に語ったものと解される。門前払いにもめげずに訪問するのは勇気が要ったと思う。
やがてブラームスは押しも押されもせぬ楽壇の大物になる。ブラームスに対して自作を送ってくる若者は多かった。大抵は取るに足らぬ作品だったらしい。そのときになってはじめてシューマンの門前払いを理解し水に流したと思われる。
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